152 慈しみの言葉で言い換える

 私たち仏教徒は、それぞれの人のことを心配します。大事にして、幸せに生きていってほしいと思います。自分が余計なこと、自我を張って、あれやこれやとわがままを言い張って、迷惑をかけないようにします。もし、何か必要なことがあったら、「これをお願いします」とにこやかに、穏やかにお願いしたりして、それぞれの皆様の幸福を願って生きるのです。そのように家族に対しても生きてほしいのです。それが執着を捨てるということです。「私の言う通りにやってくれ」などという要求はしません。我を張らずに「こうだったらいいと思いますが、どうでしょうか?」と提案型で言うなどします。相手がお母さんであっても、何か要求したければ、「私は実はこう考えていて、お母さんがこれをやってくれればいいと思いますが、どうですか?」というふうに聞いたり。家族であっても、相手に判断する権利を与えるのです。そうすると、どのようにすればあなたが幸せなのか、ものの見事にお母さんは考えるのです。そのようになる言い方とアプローチは、執着があるとできません。
『一瞬で心を磨くブッダの教え』第3章 社会で成功するために《コミュニケーション》アルボムッレ・スマナサーラ サンガ出版

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