断酒の経緯

 酒をやめて1年と7箇月になる。
 この間、飲みたいと思った日があるにはあったが、その渇望感は長続きせず、結局酒を飲まずに一日を終えることができている。

 断酒した切っ掛けは、ただの思いつきだった。
 ある朝ベッドで目覚めたとき、天井を見ながら「酒、止めてみようかな。」と思った。「どうせ、1週間もしないうちに、また飲みたくなるだろうし」とも思った。
 そして、気づくと1箇月が過ぎ、「こりゃ断酒が長続きするかも知れない。」と思えるようになった。
 ちょうどその頃、DVDでアメリカのミステリードラマ「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in ニューヨーク」を観ていて、主人公のホームズが麻薬依存から脱するために断薬を続けている姿に感動を覚えていたところでもあり、断酒に力を入れる気が強まっていった。

 素人考えで断酒をはじめたが、リバウンドというかまた飲酒習慣が復活するかもしれないと思い、断酒の本を2冊買ってみた。
 それらの読んでみて分かったのは、対象読者が依存症に悩む人たちであるということだった。依存症に悩む人たちの置かれている状況は深刻なもので、私のように気ままに酒と過ごしていた人間には重すぎる内容だった。

 まず、「酒は百薬の長」というのは医学的な根拠はなく、その昔中国の「新」の皇帝王莽(おうもう)が酒税創設の際に宣布したキャッチコピーだったということに意表を突かれた。
 それまで居酒屋に誘われる度に先輩上司から上記の言葉を聞かされてきたのだが、「なんだ、嘘じゃん。」と感じたことの衝撃。
 そういえば、仕事で疲れたときに「打ち上げ」と称して飲みに行き、結局さらに疲れるという悪循環に陥ったことが何回もあった。私は、「酒にはなんらかの魔法的な効力がある。」と漠然と思っていたが、その根拠はすっかり脳に刷り込まれていた「酒は百薬の長」という言葉にあったのだと思う。
 また、漫画「あぶさん」では、常に酒が運動能力を支援するように描かれており、それを真に受けてもいました。
 よく考えてみたら、何か辛いことがあったとき酒を飲んで気持ちを紛らわすことがあったが、酒を飲んでも「自分が解決しなければならない問題」は何一つ解決されることなく放置されるわけで、結局問題解決を先延ばししていただけでした。振り返ると「本気度」が足りなかったと思う。

 酒を止める理由はどんどん出てくるが、酒を飲む理由はどんどんなくなっていった。

 現在、タバコを吸う人に厳しい環境が整っているが、そのうち酒を飲む人に厳しい環境になりそうな気がする。酒に関しては、アメリカの禁酒法のことがあるので、「酒を禁止したら反社(反社会的勢力 つまり暴力団やハングレなど。)の資金源になる。」と言い出す人が出てくると思うが、アメリカの禁酒法は酒の製造・販売を禁止しているのであって、飲酒自体を禁止しているわけではなかった。だから、仮に次にどこかの国で禁酒法ができるとしたら、製造・販売・飲酒を禁止か規制する法律内容になるように思う。

 断酒したことで、時間の大幅な節約ができるようになった。飲んでいる時間はもちろん、その後の酔いが残っている時間も精度の高い仕事や勉強ができない。私の場合、飲んだ翌日(休日)も半日や一日は似たような状態になるので、無為に時間を過ごすことになってしまう。
 それが、断酒してからは上記の1日半くらいの時間をいろいろなことに振り向けることができる。私の場合は、読書量が飛躍的に多くなった。それも、専門書を読む速度が速くなったので、未読のものがどんどん減り、また新たな専門書を買わなければならなくなっている。断酒によって、酒代が書籍費に転化された感じだ。
酒を飲まなくなってから、睡眠の質もよくなったような気がするので、「朝起きたばかりなのに疲労感がある」ということが極端に少なくなった。

 現在、ワークライフバランスが強調され、仕事と実生活が分けられる生活になってきているので、断酒して捻出した時間を有効活用する機会が増えている。
 断酒した選択は間違っていなかったと思う。

以上

 

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