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ホームズ『最後の事件』 (1370文字)

 私はシャーロック・ホームズの諸短編の中で、『最後の事件』が最も好きな作品です。
 シャーロック・ホームズはあまりに有名な私立探偵ですからここでの説明は省略します。
 なぜ私が『最後の挨拶』が最も好きなのかということですが、この作品がホームズとワトソンの友人関係をセンチメンタル(sentimental 感傷的)に描いているからです。

 私は小学校の低学年の頃にミステリを読みはじめ今も読みつづけています。
 このような長期間続いている趣味は、ミステリとプラモデル製作だけです。
 ところで私は、ミステリに限らず小説を読むとき、その物語の中の登場人物の一人が自分であるかのように想像しました。シャーロック・ホームズのミステリを読んでいるとき、私はよくワトソンになっていました。

 ワトソンについては、職業が医者でインテリだったこと。奇矯(「ききょう」。言動が普通とちがっていること。)な同居人であり友人でもあるホームズを裏切らない誠実な人間であること。軍医としてアフガニスタンに従軍していたこと(その戦争の是非はともかく)、英国( United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland.  グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)国民として国家に貢献しようとした人間であること。等が好きだったのです。

 自分がワトソンだと想像して『最後の事件』を読むと、悲しくなります。
 ホームズはモリアーティの組織に攻撃を仕掛け警察が動き出す3日後まで、モリアーティからの襲撃をかわすために見を隠すといいます。ホームズを心配する私はそれにつき合うことにします。
 翌日、ヴィクトリア駅から鉄道に乗り、3日後にストラスブールでモリアーティの組織が壊滅したこと、しかしモリアーティを取り逃がしたことを知ります。私たちはジュネーブに向かうことにします。1週間後マイリンゲン着。そして1891年5月4日ローゼンラウイへの途中にライヘンバッハの滝を見物に行きます。ここで私は急患を診るためホームズと別行動をとります。それがホームズを見た最後です。

 私がホームズを最後に見たとき、ホームズは既に死を予見しています。
 でも、私はそれに気付くことができませんでした。それよりも患者のことで頭が一杯でした。
 暗い未来を予見する者と、その者でない別の者の命を救おうとする者(結局、その患者の話は虚偽だったのですが。)。
 あのとき、ホームズは私を見てどう思っていたのでしょう。
 ホームズの気持ちは分かりませんが、きっと「来るところまで来たな。」と思ったことでしょう。
 希有な才能を持ち、その才能を存分に発揮し、暗黒街の超大物の野望を粉砕した今、いい意味で社会の異物となりつつあるホームズは、悪い意味で社会の異物であるモリアーティと対決することが相応しいと思ったことでしょう。
 ホームズは、自身の最後となる事件には一人で立ち向かわなければなりませんでした。

 現実の私は友人を作らない方だと思いますし、情感には疎い方だとも思いますが、それでも『最後の事件』には情緒的な感情を抱きます。

 ホームズはこの後しばらくして復活しますが、私の中では復活後のホームズは一種の生まれ変わりです。

#創作大賞2024 #エッセイ大賞 #最後の事件 #ワトソン

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