『闘うプログラマー』を語る

 『闘うプログラマー』(G・パスカル・スカリー著 山岡洋一訳 日経BP出版センター)について語るとき、私は感情の高まりを押さえることができません。この本を読んだ当時、私は一人でコンピュータやプログラミング言語の勉強と格闘し、毎日精神的に疲弊していました。

 たまたま仕事でコンピュータ関連の部署に異動になった私は、そこにいた先輩や上司が「異動するまでここにいるだけ。」といった緩い態度でコンピュータを扱う態度に苛立ち、一人で勉強をはじめました。実際のコンピュータ(当時は大型コンピュータでした)の操作はSE(システムエンジニア)に委託していたので、私たちはコンピュータのことが分からなくても仕事は進んで行ったのですが、私たちから見てSEのやっていることはブラックボックス的で、何をやっているのか皆目でした。そういう状態は事故を生み安く、また委託元が受託者に軽んじられる元になります。かといって、コンピュータ知識ゼロの私には何もできませんでした。そこで、勉強をはじめたのですが、個人で大型コンピュータなど買えるわけもありません。そこで、「大型コンピュータもパソコンそれほど変わらないだろう。」と思い、MS-DOS(えむえすどす)から勉強をはじめました。そのうち、マシン語の本でコンピュータの基本構造を少し知りましたが、やはりその知識が大型コンピュータ作業を理解する助けとはなりませんでした。「こんなに頑張ったのに、結局無駄だったのか。」と気落ちしました。そんな時にこの『闘うプログラマー』を読み、モチベーションを高めることができました。

 この本は、WindowsNTの開発物語なんですが、プロジェクトリーダーのデーブ・カトラーに魅力を感じました。この物語を映画にするならカトラー役はトミー・リー・ジョーンズが適任だと思います。

 この本全体から感じることは、アメリカ人の中で猛烈に働く人の生産性は日本人の比じゃないくらい高いということと、パソコンのハードやソフトを作る人は、ノーベル賞獲得レースの一次予選を突破するくらいの頭脳を持っているということでした。
 この本を読んで、「アメリカ人はこんなに頑張っているんだ。」と感じ、コンピュータを理解できずに拗(す)ねていた自分が恥ずかしくなりました。

 当時私は、MSーDOS5.0とWindows3.1を使っていましたが、パソコンを買い替えるとき、クライアント版のWindowsNTを使えるパソコンにしました。このパソコンは、父親の友人がやっている電気店に頼んだんですが、その人から「業者がさ、このパソコンを個人で使うのってオーバースペックじゃないんですかって言うのよ。だから、『こっちには凄いユーザーがいるんだ。』って言っておいた。」と言われました。
 物凄いプレッシャーでしたが、TCP/IPの勉強もしていたので、設定はかなりスムーズにすることができました。
 こういう経緯ですので、私は大流行したWindows95を使ったことがありません。

 いろんな意味で『闘うプログラマー』は思い出深い本です。

以上

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