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アルセーヌ・ルパン『怪盗紳士』、盗んでからどうするの?  (1789文字)

 以前、昔懐かしいアルセーヌ・ルパンシリーズの『黄金三角』をさらに懐かしさが増してしまい、今度は同シリーズの『怪盗紳士』を読みました。
 この『怪盗紳士』は、著者であるモーリス・ルブランが初めてルパンの冒険を書いたものということなのですが、ルパンのキャラクターにブレが少なくまたルパンの犯行の超計画性が具現化されています。この本は、ミステリとか推理ものというより冒険ものですね。

 ルパンが盗み出すのは名画や宝石が多いのですが、これらって簡単に転売できるものなのでしょうか。
 名画は、美術好きの大金持ちが私蔵するために高額買い取りしそうな気がしますが、富豪の絶対数がそれほど多くないと思いますし、その中に盗品でも高額で買うというような美術品愛好家がどれほどいるか疑問です。

 私は、絵画には二つの見方があると思っています。ひとつは絵画自体に施された画家の腕を鑑賞する見方です。構図の取り方、筆遣い、遠近法の使い方など美術的に見るべき箇所はいくつもあるでしょう。
 もうひとつは、その絵画の歴史的意義です。その絵画には画家の考えが顕在化又は潜在化して描かれているはずです。その絵画が描かれた時代には鑑賞者が共通して持っていた常識的な認識も時代を経るとともに忘れ去られるってことがたくさんありますから、それを探し出して当該絵画の社会的意義を含めて鑑賞するやり方です。

 ミレーの『落穂拾い』は、私は写実的に農作業を描いた絵だと理解していましたが、落ち穂拾い自体は「刈り終わった畑に落ちている糧(かて)を拾っていく作業であり、最も貧しい農民が行うつらい労働である」ということを後で知りました。そういう背景情報を知ってこの絵を見ると違った感情が沸き上がります。

 以前、『ドイツ参謀本部』という本を読んでいて、参謀本部のシャルンホルストが、ナポレオン軍に対抗するためには農奴を解放し国民とし、かれらを徴兵して兵士の数を増やすべきだと主張し、皇帝から「ジャコバン派」(フランス革命当時の左派の政治団体。恐怖政治を行った。)と呼ばれ嫌われた、という件(くだり)のとき、農奴という存在は社会状況としか読み取れませんでした。しかし、ミレーの『落穂拾い』の意味を知った後でシャルンホルストの件(くだり)を読み返すと、違った感慨を抱きます。
 ミレーの『落穂拾い』は1857年の作品ですが、フランス革命は1789年です。ミレーはフランスの画家ですが、フランス革命から70年近く経っているのに落穂拾いを描いたということはそこに何らかの政治的義憤が込められていると感じるのが自然でしょう(実際にはわかりませんが。)。

 以上は絵画の見方の一つについての例示です。

 とにかく、アルセーヌ・ルパンの行う大規模な窃盗って金儲けになっているのか、という疑問が生じる余地がありますが、『怪盗紳士』の「悪魔男爵の盗難事件」の結末でこの疑問に対する一応の答が示されました。

 残るは宝石類です。
 私は、宝石の価値は「綺麗さ」くらいで、後はそれを所持していることから周囲の羨望を集められるという見栄を張れることくらいだと思っています。この周囲の羨望は、当該宝石が高額だからというのが本当のところだと思います。「あんなに高額な装飾品を身につけているのだから、あの人はさぞかしお金持ちなのだろう。」と思わせられるだろうという自己満足の象徴。それが宝石だ、という考えです。
 私はそう思いますが、この自己満足は他人に見られることが絶対要件になるので、盗品だということがばれてはいけません。アルセーヌ・ルパンが盗む宝石は極上のものが多いので、おそらく固有名詞(「アフリカの涙」とか。そんな宝石が実在するかどうかは知りませんが。)がついている宝石が多数含まれているでしょう。
 だったらなお盗品であることがバレてしまいます。
 つまり、アルセーヌ・ルパンが盗んだ宝石は、流通しずらいので宝石愛好家くらいにしか売ることができないでしょう。

 結局として、アルセーヌ・ルパンの窃盗は、「労力を掛けた割には換金率が 低すぎる。」つまり、コストパフォーマンスが低い仕事と評価できます。
 もっともアルセーヌ・ルパンは怪盗ではありますが、同時に紳士でもありますから、カネのことをあまり考えないのかもしれません。


#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門 #怪盗紳士

 

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