『違和感』を語る

『違和感』(爆笑問題太田光著 扶桑社新書)は、『笑って人類』を読んだ勢いで買った本です。爆笑問題の太田光さんには、ファンが多いがアンチも多いようですが、漫才の実力と未だにネタを作りつづけている持久力は誰も否定できないと思います。ただ、番組で感情が爆発し過ぎて視聴者を不安にさせるということは多々ありますので、視聴者からはある種の発達障害と見なされているのではないかと感じています。実際にはちゃんとした計算があって感情爆発風の発言や表情をしているのだと思いますが、それが真に迫っているのでなかなかその計算が伝わっていません。
 また、テレビ番組で安倍首相(当時)のことを散々けなしておいて、桜を観る会に呼ばれると安倍首相とともににこやかに写真を撮られる姿が、「節操がない。」と見られてしまうのも辛いところだと思います。テレビ番組には台本があって、そのとおりに演じている(たまに感情の高ぶりもありましたが)のに、それが演者の魂の叫びみたいに受け止められちゃって。

 ところでこの『違和感』ですが、内容は面白く、太田さんは正直にこの本を書いたのだと感じました。この本を読む限り太田さんは読書量が多く、しかも多くの種類に及んでいて、私などがどうこう言えないくらいの知識量とお考えをお持ちと思います。そう感じますが、私はこの『違和感』の内容と私の考えが微妙にズレているように思いました。『違和感』の内容に誤りがあるとは思いませんし、この内容に対して私は反対だという箇所もありませんでした。野球で例えるなら、ランナーのいない状況でセカンドベース付近に転がったゴロをショートが処理すべきか、セカンドが処理すべきかについての感覚の違いといったところです。ボールに近い方の野手が処理すればいいのでしょうが、そこに守備位置の問題や二塁手や遊撃手との守備力の差など野球好きには大好物の議論があるのでしょうが、外部で見ている限りどうでもいい話です。太田さんの意見と私の意見とのズレとはそんな程度のものです。

 とはいえ、見解が一致した箇所もあるので、その一つを書きます。
 ■憲法九条 日本の常識は世界の非常識って、それのどこがダメなんだよ
(p221)
で、ここは太田さんと結論は違いますが、考えの起点は同じです。
 日本国憲法は、明治憲法の第73条の改憲手続きによって成立しています。しかし、天皇を主権者とする欽定憲法(きんていけんぽう)の改正手続規定を用いて、国民主権を基本理念とする憲法へと転換することの法的な理論は成立するのだろうかという疑問があります。このことは私が独自に気づいたのではなく、憲法を勉強中に読んでいたテキストに書かれていて(有斐閣LeagalQuest「憲法Ⅰ 総論・統治」p57)、「たしかにそうだ。」と思しました。多くの人は、「占領下だったんだから仕方ないでしょ。」と言うでしょうが、法律の世界ではそれでは納得できません。また、「だから改憲だ。」という意見も成立しません。明治憲法(大日本帝国憲法)と日本国憲法とに制度上の断絶があるなら、日本国憲法を改正したとしてもその断絶を治癒しないからです。
 そうはいっても、もはや日本国憲法は動かしがたいまでに大きな存在になっていますから、これはこれとして(後は憲法学者の研究にまかせて)改憲するかしないかを議論することにしないと話が進まないでしょう。

 2022年のM1グランプリはウエストランドが優勝しましたが、今年またウエストランドが優勝しそうないいネタを作ったという話を聞きます。ウエストランドが2023年もM1に出場するかどうか今の段階(2023年9月17日)では分かりませんが、私はM1に出場して連続優勝を狙ってほしいと思います。
 ウエストランドの井口さんが、いわゆる「いぐチンランド」事件を起こして、爆笑問題のラジオ(ゲストはものまね芸人の松村邦洋さん)に急遽出演して謝罪したときの爆笑問題と松村さんの井口さんを庇(かば)うやさしさに心が温まりました(このラジオ放送はYOUTUBEで視聴できます。)。
 こういうところを見ちゃうと、太田さんを嫌いになれないんだよなぁ。

以上

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