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映画『アイアム・ア・コメディアン』観ました (1837文字)

  映画『アイアム・ア・コメディアン』は、漫才師ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんのドキュメンタリーです。
 村本さんがテレビの仕事がなくなり同時にライブで人気を博すようになった時期に、COVID19の流行によってそのライブができなくなります。また同時にアメリカでスタンダップコメディをやるため渡米の準備をしていく。という内容なっています。

 映画の中で、村本さんがアメリカで、アメリカにいる女性(日本人のようです。)にネタを見てもらうシーンがあります。そのネタは、「カトリック教徒の幼児をこうやって小児性愛のカトリック神父から守る。」という内容で、私から見たらなかなか踏み込んだネタだと思いました。
 でも、そのネタをみた女性は、しばらく黙り込みました。やっぱりやり過ぎだったのかな、と思ってみていたら、彼女は「うーん。普通。というかこういうネタを前にも見たことある。一生カトリック批判しているコメディアンもいるの。ここには。」ということでした。
 彼女の沈黙は、村本を傷つけないように言葉を選んでいた時間なんですね。

 コメディアン(comedian)は喜劇俳優って訳されます。でも、日本では面白いことを演ずる俳優って感じに捉えられています。でもその「面白いこと」というのが日本とアメリカとでは違っていて、アメリカでは人種問題みたいにデリケートなことも「面白いこと」にされるようです。
 映画の中で黒人の女性スタンダップコメディアン(コメディエンヌ comedienne というべきでしょうか。)が、「白人に、黒人に生まれるか、難病になるか、どっちがいい? と聞いたら、難病がいいと言う。」というネタを話していました。このネタを聞いてどう反応すべきか私には分かりませんでしたが、アメリカの客は大笑いでした。

 ネタの自由さは、言論の自由が背景にあるからだとは思いますが、同時に異文化の民族が互いに存在を認知し合う接点という感じがします。
 私の理解では、前述のネタは黒人差別という問題を持つ社会で、この問題を他の問題の中に埋没させないためになるから存在意義があるというものです。

 日本では、種々の問題も時間とともに形骸化し、表面上なくなったようにみなされる傾向があると思います。
 古い話ですが、小泉政権の時代にハンセン病訴訟として国が訴えられた事件で、小泉首相が控訴断念の政治判断をしたことがありました。
 その後、小泉首相は原告団と面談しかれらを抱擁しました。
 ハンセン病には非科学的な考えが蔓延っていて、「ハンセン病は遺伝する。」とか「病変している部分に触れると感染する。」などと真顔で言う人がいました。小泉首相の行為によって、そういう非科学的考えは大幅に是正されたと思います。つまり、それまでなかったかのように見なされていたハンセン病とその俗信が、表面化しそしてほぼなくなったのであり、私はこの一事だけで小泉首相を支持しています。
 でも、アメリカだったら、コメディアンがこのハンセン病をネタにする機会を見逃すとは思えません。きっと、オチのあるネタを作り出して、ハンセン病を風化させないのではないかと思います。
 「・・・を忘れない。」といいますが、社会には問題が次から次に生まれてきますから、このようなコメディアンらの風刺ネタによって「忘れない。」ことが実現されるのではないかと思います。

 村本さんのネタも、別に政治的メッセージを演説のように言い放つというわけではなくて、ちゃんとオチがあります。オチまで聞けば「なるほどね。」という感じになります。

 この映画の中で一番ハラハラしたのが、両足がなくて車椅子に乗るお笑い芸人志望の青年と飲んだ話でした。
 村本さんは、その青年の作ったネタをずっと聞いていて「面白くない。」と思いつづけ、ネタが終わったところで、「お前は、足だけじゃなくて「(お笑いの)腕もないな。」と言ったそうです。
 すると、その青年は笑った後、「あんたには心がない。」と返したそうです。村本さんは、「こいつひょっとしたらお笑い芸人の素質あるかもしれんな。」と思ったそうです。

 これなんか、聞いている間「村本、頼むから両足がないということに触れてくれるな。」と念じましたが、オチまで聞いたとき、緊張が緩和して映画館の中で笑いました。

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