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ビートたけし主演ドラマ『点と線』 ー司法警察と治安 その重要さー

 かなり以前観たドラマなので記憶が不鮮明なところがありますが、松本清張さん原作の『点と線』のドラマ化でビートたけしさんが主演していました。
 このミステリはあまりにも有名なので、トリックや内容を書いてもいいようにも思いますが、これから読む人がいると思いますので、そういうネタバレは一切書かないことにします。

 この投稿の副題にある「司法警察」(しほうけいさつ)とは、ドラマ『太陽にほえろ!』の刑事達のような警察のことで、犯罪の捜査、犯人逮捕、証拠集め等と目的とする国家の作用です。公訴を提起する材料収集がその役割となります。
 上記の『太陽に吠えろ!』などの警察ドラマでは、「犯人逮捕で当該事件は解決した。」ように描かれているので違和感を持つ人が多いと思います。
 ここでは、細かなことは言わず、「司法警察=警察」とします。

 『点と線』では、男女の死体が発見されますが、それが心中なのかそうでないのかが問題になります。心中であれば、それでこの件は処理終了となりますが、心中でないのであれば事件性があるということで捜査が開始されます。そうなると、困る人たちがたくさんいます。その困る人たちの中にある省の官僚達が含まれているので、捜査は慎重に行われます。「慎重」にというのは、捜査の網から逃さないようにするためです。

 問題はこの「困る官僚達」で、彼らには利権に群がる民間企業の人間が多数付いています。
 この『点と線』が小説として発表された当時は、戦争で商売していた政商とか彼らが飼っている鉄砲玉(暗殺も請け負う連中)がいて、彼らは日本の暗部でした。戦争利権を貪っていた生き残りと言ってもいいと思います。
 そういう連中は、汚れ仕事は暗殺部隊にやらせて自分らは安全に生活しているので、日本の治安の外にいるとも言えました。国民はうすうすはこいつらの存在を知っていましたが、警察を頼りにならないと思っていたため、どうにもなりませんでした。それは、日本が連合軍総司令部(GHQ)が日本政府の上位に位置しており、そのGHQが下村事件や松川事件などを起こしていたと信じられていたからです(事実は分かりませんが、国民の多くはそう信じていたと思われます。)。
 このミステリが単行本として発刊されたのは1958年です。
 サンフランシスコ条約が1951年、朝鮮戦争休戦が1953年ですので、まだ戦後の占領政策の記憶が生々しいときだったのでしょう。
 「世の中には触れない方がいいことがある。」という考えを持つ国民が多かったのだろうと思われます。
 そういう時代に発刊された『点と線』は爆発的にヒットしました。

 この内容は、当時としても危険性をはらんでいたと思います。
 ロッキード事件が1976年頃で、この事件で日本の政商はほぼいなくなったように思われます。(でも「ある細菌がいなくなると、別の細菌が繁殖する。」みたいなことがないとも言えません。分かりませんが。)
 1976年でこれですから、1958年において政商の「闇の力」を無視することなど到底できなかったでしょう。

 この『点と線』のドラマでも、原作と同様に「法に触れることをした奴は例外なく法の裁きが下されるべきだ。」という「法の下の平等」の精神が司法警察員(刑事ら)に宿っていることが感じられます。

 そこには、「GHQも官僚も政商も関係あるかい!」という気概があります。
 この十数年後、学生運動が盛り上がったときに、マスコミは破壊行為を
繰り返す過激派を「なんとなく庇う」姿勢を示し、学生らは警察を「権力の犬」と呼びましたが、彼らは司法警察が治安を守っていることを忘れたのかと思います。

 あの学生運動で大騒ぎした連中は、今は後期高齢者になろうとする世代でしょうが、そんなあいつらも「今の若者はなってない!」とか小言を言っているのかと思うと、「人生の皮肉」を感じます。

 ドラマの終わりの方のビートたけしの死に様は、あれはあれでカッコよかったように思います。

以上

#おすすめ名作ドラマ #点と線

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