賞をもらってたよ
実家の押し入れの中には、
家族の思い出や子供達の卒アルなんかが眠っている家庭は多いだろうな。
私の家もそう。
卒アルとアルバム、卒論集など捨てるに捨てられない生きてきた証がたくさんある。
卒業証書なんかもある。
その中で私の名前の賞状が2枚出てきた。
小3と小6のときに、私が書いた作文が賞を取っていた。
校内の賞ではなくて、学校が毎年恒例で協会かなんかに提出してるやつ。
嬉しかった
賞状を見て、確かこの時の作文は2つとも応募先から返ってこなくて、両親が不服そうにしていたのを覚えている。
確か学校で書いてそのまま親は読む機会すらなかったのかな。
今になってめちゃくちゃ読みたいな
どんなことを書いて評価されたんだろうな
子供が作った作品を返さないとか、大人の都合で、、、みたいなこと小学校のとき特に多かった気がする。
当時も、「なんでそんなことするのかな〜」「そんなもんなのかなでも嫌だな」の気持ちを行ったり来たりしてた気がする。
小学生だった私は、
自分がどうしても許せない理不尽なことや、
自分が怒ってることを、親に伝えることが苦手だった。
小5か小6のときかな。
図工の時間に、学校内の公園(自然に触れるための木が生い茂った静かな森の中みたいな場所)で拾った葉っぱや木の実を使い、なにか生き物を表現する機会があった。
友達は、木の枝と葉っぱを使って大きな羽ばたく鳥を作ったり、飼っているペットを表現する子もいた。
私はたくさんの松ぼっくりと木の実を拾ってきて、
小トトロを作ろうとした。松ぼっくりを組み合わせて体全体を形作って木の実で目を。
結果としてなんかよく分からないフクロウみたいなのが出来た。
ちなみに私は、絵を描いたりモノを作ったりすることが何よりも苦手で、毎回図工の時間が苦痛でしょうがなかった。
手先は割と器用な方だが、絵も物作りもイメージしたものが出来上がったことがなく苦痛だった。
自分だけが上手くいかないことが恥ずかしかったし、
でも出遅れるのも嫌で、「大急ぎだけど何も出来ない」という最悪の時間が図工だ。
そんな思いで、フクロウができた。
本当に苦しかった、やっとできた。
図工の時間は変な汗が出る。
図工の時間の最後に、1人ずつ何を使って何を作ったのか発表した。クラスの半分ぐらいの人が発表した。
私も発表した。時間が足りなかった残りの半分の子は次の日の図工の時間にまわすことになった。
それぞれ作った作品は、そのまま公園の中に飾っておいて、翌日にみんな持って帰ることになった。
翌日。
私の松ぼっくりフクロウは、壊されてなくなっていた。
本当に本当にショックだった。
まあ学校内の公園だし、全校生徒遊べる場所で張り紙も何もしてなかったし、他にも作品が崩れている子はいた。風も吹くし。
でも私だけは、作品に対する気持ちが違った。
先生にも友達にも言えなかった。
自分が苦手さと苦しさを感じながらやっとの思いで作り上げたものを、知らない誰かが壊した、と。
(結局何が原因か分からないし、松ぼっくりが崩れて散らばったから跡形もなく公園に溶け込んだだけかも)
私は自分の気持ちが踏み躙られた気持ちになって、初めてひとに対する憎しみと悔しさを感じた。
こんなところで、初めて味わった。
家に帰って、「頑張って作ったのに壊された」と母親に話すのはとても長い時間がかかった。
苦労したこと、悲しい気持ちのこと、でもしょうがないこと、子供ながらに受け入れようとして割り切った考えをしなければいけないんだ、と自分に言い聞かせるように話した。
悲しくなって苦しくなって、ソファに顔を押し付けて泣いた。
母親は、うんうんと話を聞いて、受け止めてくれた。
まさかこんなことで泣くなんて思わないもんな。
、、、、、、、
今思い出しても泣いた。辛かったな。
あの時から、こんな気持ちに他人をさせないことと、
他人の苦労と努力で築きあげたものは、知らないところにも山ほど散らばっていることを学んだ気がする。
図工の時間に良い思い出はひとつもない。
楽しかったことも、一度もない。
文章を書くことは、大好きだ