糸目の開眼が嫌い

糸目キャラの開眼が嫌いだ。
正確に言うと、開眼させておけばウケるだろうという陳腐な戦略のもとで、高頻度でパカパカ開眼させてくる公式運営が嫌いだ。

糸目キャラの開眼を全否定というわけではない。
そのキャラが本気を出した時、かなりの驚愕をした時など、そのキャラの感情が強く動いた際に薄く双眸が見える描写などはよいと思っている。それだけ、そのキャラが強い衝撃を受けたのだと理解できるからだ。二次創作やファンアートでの開眼も別に嫌いではない。創作は自由だからである。

ただし、公式での開眼は嫌いだ。漫画やアニメの中で少し開くならばまだいい。しかし経験上、その一度のチラ見せがあると、それを皮切りに、その後の物語中はもちろん、キービジュアルやCDジャケット、グッズイラストなどでも怒涛の勢いで開いていく傾向にある。これが本当に、本当に嫌いなのだ。

そういうわけなので、私は、新しいジャンルに糸目キャラが登場した際は、このキャラクターはどの頻度で開眼するのかをまず観察する。序盤から定期的に眼が開くようであれば、このキャラと公式はそういう方針なのだろうと把握できるし、そういうタイプに関して文句をつけるつもりはない。既出のジャンルに途中からハマった場合も同様に、過去の話や設定を追い、傾向を把握し、この糸目キャラはずっと糸目のままであることを確認してから安堵して好きになる。

しかし、それが五年目あたりで急に開きだす場合がある。
これが本当に納得いかない。

オタクがキャラクターを特定の特徴で好きになることは、よくあるケースではないだろうか。俗に性癖と言われるものだが、糸目の他の例として、眼鏡、長髪、短髪、貧乳、巨乳、八重歯などさまざまなものが存在している。
ここで、少し考えてほしいことが。眼鏡姿がきっかけで好きになった、長髪がきっかけで好きになった、貧乳がきっかけで好きになった。その好きになったきっかけが、高頻度で消され、改変されるようになったとすれば、どのような気持ちになるだろうか。

もちろん、大歓迎の人もいると思う。新しい性癖が開かれる人もいると思う。しかし私は違う。好きなキャラクターの一番の好きな特徴を奪われたという感情になってしまう。

無論、糸目要素が失われたところで、キャラクターの性格や遍歴が全て変わるわけではない。そのキャラクターの目だけが好きな理由でもない。糸目キャラクターの目が常にパッチリ状態に変わったというならまだしも、一枚絵で開眼していた、グッズで開眼していた。そのたかだか一瞬のことに、なにをそんな目くじらを立てるのかと感じる人もいるかもしれない。

しかし、冒頭で述べた通り、一度の開眼があると、往々にして開眼の頻度が上がっていき、新規のものがことごとく開眼ビジュアルへと変わっていく傾向にあるのだ。つまり、好きだった特徴がどんどん消され、新しい情報が出るたびに素直に喜べなくなっていく事態になる。

ネガキャンをするな。アンチコメントをするな。嫌ならば見るな。気に入らないならばジャンルを降りろ。どこの界隈にも、そういった暗黙の了解があると思う。
私にもそのくらいの良識はある。開眼によって界隈が盛り上がる中、そのビジュアルを見ないようにし、水を差してはいけないと黙って、内に引っ込んで、鬱々とした感情や怒りの感情を、できる限り盛り上がりの場に書き込まぬよう努力する。そしてそれでも消化しきれなくなった時は、私のような、糸目キャラの開眼を苦手とする人間は、そこへ注ぐ熱量を下げ、そのジャンル自体から離れていく。

するとどうだろうか。SNSには賞賛や歓喜の声だけが残り、エゴサーチなどでそれを拾った公式運営側が、絶賛されている、これは盛り上がると認識し、また開眼ビジュアルを出すというと流れが生まれる。それが業界においての共通認識となり、別のジャンルでもその流れになってしまうかもしれない。

かっこいい!と盛り上がる人たちがいる。
ギャップがあって好き!という人もいる。
開眼によって新しいファンも増えることがあるかもしれない。

需要があることはわかっている。
でも

かっこよくなんかない。
これっぽっちも好きじゃない。
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。
一番の好きだった特徴を返してくれ。

糸目を開眼させる奴なんて大嫌いだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?