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春の日

眠れぬ夜。

毎日毎日、どうしてこんなにも疲れるのだろう。

そんな日々の中、
唐突に届く最高の贈り物。

今年は、「春の日」という贈り物が届きました。
その贈り物の内容を綴っておきたいと思う。

🦜

気がつくといつの間にか桜の季節になっており、
イソヒヨドリが小学校の前にある、
1本の桜の木に蜜を求めて訪ねてくるようになった。

通勤中にもその姿を見かけるようになり、
美しい青色の姿をみると幸せな気分になった。

🌸
日曜日の早朝、
イソヒヨドリの美しいさえずりで目が覚めた。
まだ、朝日は完全に登っておらず、薄暗い。

閉まっているカーテンの向こうには、きっと
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、、」
という有名な短歌のような風景が
広がっているのだろうな。
なんて想像しつつも、
日曜日という言葉に負け、
起き上がらない体と、
想像している風景に裏切られたくない
という気持ちから、
カーテンを開けることをやめた。

ただただおだやかな気持ちで
薄暗いカーテンを見つめる。

その内に、
早朝の静けさの中に美しく響く
イソヒヨドリのさえずりと、
薄暗いカーテン
という風景を残しておきたくなって、
思わずスマホを手に取り、動画に納めた。

その日曜日というのは、4月1日であった。
いいお天気だった。
雲ひとつない、澄んだ水色の空。春色だ。
心地よい風も吹いている。

桜が見たくなって、堤防へ散歩に出かけた。
両脇の堤防には桜並木が広がっており、
桜並木の入り口まで来ると、
桜のトンネルが向こうまで伸びていた。

風に吹かれて、
桜の花びらがひらひらと天から舞い散り、
アスファルトをピンク色に染める。
その美しさに思わず、
小さな声で「幸せだ」とつぶやいてしまった。

歩みを進めると色々な風景に出会った。

知らないお母さんと小さな子供。
お母さんに「こんにちわ」とあいさつをされ、
「こんにちわ」と会釈した。

普段、歩いていて、知らない人から、
あいさつされることなどそうそうない。

歳をとるにつれ、複雑になってゆくこころ。
ただただ、純粋であったからこそ、
自然とできたあいさつ。

この道に桜の花びらが魔法をかけたのだろうか。
そう感じた。

他にも、

おばさんが、
森山直太朗のさくらをBGMに流しながら、
自転車でゆったりと漕いで行く。

カモたちが気持ちよさそうに泳いでいる。

セキレイがちょこちょこと散歩をしている。

ヒヨドリが桜の蜜を器用につついている。

こんなのどかな空間があったのかと
今日という休日をありがたく思った。

懐かしい感覚を思い出させてくれる
野草たちにも久しぶりに会った。

田植え前の田んぼに広がるれんげ畑、

堤防に咲く、あるいは茂っている
菜の花、よもぎ、カラスノエンドウ、
すずらん、
すいば、イタドリ、
カラムシ、
ホトケノザ、オドリコソウ、

田んぼのあぜ道に咲く、
たんぽぽ、つくし、すみれ、
マツバウンラン、シロツメクサ、、、

「子供時代が染み付いていなかったら
この大地を愛せるだろうか」という、
「フロス河の水車」の一説が頭に浮かんだ。

トンネルの出口に近づいてくると、
アスファルトの道は止み、
舗装されていない道が現れた。
天然の大地。

その風景は私にとって、
赤毛のアンに出てくる「喜びの白い道」を
リアルに描いたものだった。

流石に馬車に乗ったマシューや
アンには会えなかったけれど、

草むらでお花見している人たち、

スマホを設置し、
天から舞い散る花びらとともに撮影する人、

1年に1度しか咲かず、
咲いたと思ったら、儚く散ってゆく桜たちと
思い思いに過ごす人々を見て、
忘れかけていた
優しくてあたたかな気持ちが溢れた気がした。

更に奥へ進むと誰もいなくなり、
桜のトンネルはゴールを迎える。

🌼

トンネルから出ると、
草刈りをしたのであろう大地が現れ、
枯れ草が広がるその中に、
小さな一輪のたんぽぽが咲いていた。

葉が歪に削れていたのを見て、
草刈りをした人が
たんぽぽを残してくれたのかもしれないと想像した。

と同時に思い出す。
高校生の時に出会ったコンクリートの隙間から
ひっそりと顔を出し、
片隅に咲いていた小さなたんぽぽを。

一輪、ポツンと咲くたんぽぽには
惹かれるものがあって、
当時のたんぽぽに久しぶりに出会った気がして
嬉しくなった。

なんというか、
自分に似ている気がして。

価値観が似ていたり、
共感できる部分があるのではないかと思ってしまう。

たんぽぽは昔から好きで。
きっかけは、
小学校2年生の教科書にあった
「たんぽぽの知恵」というお話。

それから、
「たんぽぽさんってまぶしいのね」
というフレーズから始まる詩に出会ったこと、

「たんぽぽ団にはいろう!」
という歌が好きだったこと。

生まれ育った家の前に広がる野原にも
春になるとたんぽぽが咲いて、
それが黄色の絨毯のように見えて、
その風景に出会えることを楽しみにしていた。

俳句の宿題があった時には、この風景を題材にした。

綿毛になったときには、
風を待たずに、
「来年も綺麗な絨毯を見せてね」と
願いをこめながら
ふーっととばす、、、

☆☆☆

感情なんて無くしてしまいたいと思う自分に、
心豊かになれる時間をくれてありがとう。
大地讃頌。そんな春の日であった。

来年はどんな春の日が待っているのかな。

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