【ただの日記】 消える桜

昔国語の教科書で日記は読み返して初めて意味を成すというのを見た。将来の自分に残して置きたかったので、くだらない話を書く。

昨日まで暖房をつけていないと冷え込んでしまいそうだったのに、瞬く間に春はやってくる。

僕が大学に入学してからもう1年。
去年散った桜が再び花を咲かせる。
四季の変化を繰り返しながら時は流れていく。
僕にとって春は桜だった。特に桜に関しての思い出がある訳じゃない。ただ漠然と春といえば桜。
僕の住んでいる地域には、桜通りと呼ばれる場所がある。文字通り、桜が道にそうように植えられた通りで、春になればそれなりに見応えのある美しい景色になる。

ただ、来年の春にはもうないらしい。
桜通りの木々が撤去されるらしい。
根が張って道路が隆起するからとか、自治体が管理の手間を省きたいからだとか色々聞いたがどれが正しいのかわからなかった。

特にビッグニュースでもない。世界がひっくり返るようなものではない。けれども、なんだか心に残るような一報だった。ずっとあると思っていた。残り続けると思っていた。世の中に永遠なんてものは本当はないけれど、それでも僕が生きている間くらいは残っているのかななんて思っていた。いや多分思ってすらいなかった。なくなることを考えていなかったんだと思う。それくらい当たり前にそこにあるものだった。

この前うちの裏の家が、なくなって土地だけになっていた。どんな家かも覚えていない。きっとそれと同じになっていくんだと思う。
故郷の変わらない景色なんて言うけれど、きっと細やかに変わっていっている。家は建て替わるし、人は引っ越す。そこのコンビニのアルバイトは明日にはもう辞めているのかもしれない。
何処にでも、いつも存在していたはずのそんな当たり前の変化に今さら気付いた。
いや、改めて意識した。

だから、今を噛み締めて生きることが大事だって誰かが言うのかもしれない。
そんな言葉は明日の為の今なのだからそれを積み重ねるべきだなんて言う説教くさいものだと思っていた。
発言者の意図はそれであっているのかもしれない。けれども僕の中での答えはもっと単純なものになった。

これから紡がれていく歴史の中で、桜の十数本が消えたなんてのは、何処にもきっと残っていかない記憶だけれど。

少なくとも僕にとっては大切な些細な思い出で経験なんだと思う。いつか僕も切り倒される時、その後に、他者の中に何かが残るようなそんな人生を送りたいと思った。

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