第二章 七話 隠蔽の館①

「あのトンネルの中は、息が詰まるようだったな。何枚か写真を撮ったから、現像が楽しみだよ、斎藤くん」

「これは、我が部始まって以来の偉業を成し遂げるかもしれんぞ。楽しみだなぁ、今井くん。後は我らのマドンナに任せるのみ!」


 トンネルから出ると、今井先輩はふぅ、と息を吐き出し、眼鏡を上げる。二人してトンネル内の感想を言い合い、大いに盛り上がっているようだった。

 霊感のない二人は気楽でいいなぁ。

 あのトンネルの上部で、蠢く赤ん坊達の霊が視えて、今と同じような感想を口に出来るなら、僕は先輩方を尊敬する。

 ふと、腕時計を見ると時間は十六時前になっていた。

 あまり暗くならないうちに調査と供養を終わらせて、貸別荘に帰れるようにしたい。


「一応、道らしき物があるよ。まぁ、へその緒を辿った方が確実かもしれないけれど」

「やっぱり、この先にあると言われている屋敷に怪異の元凶があるんだな」


 雨宮さんにそう言うと、例えようもない嫌な感情が込み上げてきた。赤ん坊の魂が囚われている場所だなんて、一体過去に何があったんだろう。

 朽ち果てた廃道を、飄々ひょうひょうとした、雨宮さんを先頭に歩いて行く。

 しばらく歩くと、突然場所が開けて、洋館付きの一軒家が見えてきた。

 ところどころ屋根が剥がれているし、一部窓が割れている場所があるものの、落書きもない。長年この廃院に、人が寄り付いていない事を証明しているようだ。

 建物の正面には、古い木の看板に旧字体で『荒牧産院』と書かれていた。


「荒牧産院……? そうか……もしかするとここで死産したり、流産してしまった水子の霊が、成仏出来ずに囚われているのか」


 大正時代から、戦前の昭和にかけて洋館付きの和風住宅というのが流行ったと聞いた事がある。この、荒牧産院もそのようなお洒落な建築デザインで、当時はモダンな産院だったのだろう。

 もしかすると、診察室が洋館の方だったのかもしれない。だけど僕は、この屋敷を目の前にして、あの廃トンネルよりも嫌な感覚に襲われた。


「……そういう水子霊も居るけど、ここに居るのはもっと邪悪だよ」


 隣に並んでいた雨宮さんは、睨みつけるようにして産院を見ていた。前回、彼女と僕が澤本先生と対峙した時とは、比べ物にならないほどの緊張感だ。急にザワザワと風が吹いて、枯れ木の葉が宙を舞う。

 心無しか、後ろの三人も何かただならぬものを感じたようで、ゴクリと喉を鳴らした。


「雨宮さん、この産院の中に入るのか?」

「いや。面倒な相手に気付かれないように、裏に回るよ。多分この産院の、庭にあの赤ん坊達の遺体が、埋められていたんだ」

「い、遺体が……?」


 雨宮さんはそう言いながら、リュックから護符や、雨宮神社のお神酒、人型の紙などを取り出す。この人の形をした物は形代かたしろと呼ばれ、厄災の身代わりになってくれたり、穢れを祓ったり、神霊を入れて式神としても使える。

 彼女は、巫女さんが、神楽かぐらで使う神楽鈴も用意していた。

 先輩達も、彼女のお祓いグッズを興味深く見つめ、写真を撮る。僕や先輩達も写真でこれらの道具を見た事はあるものの、実際に人が使っているのは、見た事がない。


「なるほど、この裏に水子供養塔でもあるのかな。でも、手厚く供養されていたら化けて出てこんだろう」

「ふーむ。斎藤くん、地元の人間が寄り付かないと言うのも、気になるところじゃないか?」


 用意する雨宮さんを見守りながら、先輩達二人は、あれやこれやと推理をしている。


「そもそも、流産や死産なら家族が、水子供養して貰えるお寺に行って、ご供養されているでしょう? 産院になんて頼むのかな。秘密裏に墮胎したのなら、話は別だろうけど。でも、条件付きじゃないと――――あれ?」


 僕は、ふと元気な若林先生の声が聞こえないのに気付いて、顔を上げる。

 僕達の、直ぐ後ろに居たはずの若林先生の姿が見えない。トンネルを一緒に出たのは確認しているのに。

 僕が立ち上がると、なんだなんだと先輩達も振り返る。


「ん? 若林先生が居ないぞ。まさかトイレ、なんて事ないよな。カメラを持ったままだし、俺達に断りを入れるだろう」

「まさか、斎藤くん。若林先生はトンネルの方に引き返したんじゃないのか」


 僕はとてつもなく嫌な予感がして、先輩達を押し退けると、荒牧産院の玄関先まで走った。

 そして、ドアノブを回してみると鍵は掛かっておらず、埃だらけの廊下に、真新しい足跡がついていた。やっぱり、若林先生は一人で廃屋の中に入って行ってしまったんだ。


「雨宮さん、ちょっと来てくれ……!」


 慌てて雨宮さんを呼ぶと、彼女も珍しく血相を変えて駆けつけた。そして重苦しい溜息をつく。


「仕方がないねぇ。裏庭を清めて、海野先輩に経を上げて貰い、お供えをすれば大丈夫じゃないかと思ったんだけど。若林先生は、悪霊に呼ばれたんだね。しょうがない……、これはもう、私がやるしかないね」


 そう言うと、雨宮さんは扉を開ける。

 この不気味な廃院に入るべきか戸惑ったが、彼女を一人で行かせる訳には行かないので、僕も先輩としてついて行く事にした。いざとなれば、僕だって読経くらいは出来るのだから。

 先輩達も、理由もわからないままバタバタと、後に続こうとして、雨宮さんに止められる。


「海野先輩は読経が出来るし、後ろにいる守護霊も、力の強い高僧だ。だけど、あんた達二人は危険だよ。何を見ても騒がない事。このお守りを身に着けて、私の指示にちゃんと従うなら、ついて来てもいいけど」


 雨宮さんは、先輩達にお守りを手渡した。彼らはそれを握りしめると、使命に燃えたような瞳を向ける。


「もちろんだとも! 悪霊に囚われた先生を助けるのは学生として当然の事だ。これぞ、美しきかな師弟愛」

「我ら辰子島オカルト研究部は、怪異を恐れない。必ずや霊魂が存在する証拠を掴み、先生を救出する」


 この人達、本当に単純なんだよな……大丈夫か。こんな廃屋で逃げ惑ったら、大怪我をしそうだ。

 そも自分達が、悪霊から先生を救うだなんて大口を叩いているが、それをするのは雨宮さんである。

 僕は思わず乾いた笑いが出てしまったが、雨宮さんは「ああ、そう」とクールに返事をすると、くるりと踵を返した。

 僕達は、彼女に置いて行かれないようについて行く。


「それにしても、本当に夜逃げしたみたいに、生活感がそのままですね」


 僕は後ろの二人にそう問い掛ける。


「ああ。この産院が建てられた時は、裕福だったんだろうけどな」


 経営難に陥って、夜逃げでもしたんだろうか。年代物の電話や、白衣などが無造作に廊下に置かれている。先輩達が先生の名前を呼んでみるが、反応はない。


「しかし、産院か……嫌な事件を思い出した」

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