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雪のない正月

正月には大雪が降るとの予報に戦々恐々としながら明けた新年。
小雨が降っても雪にはならず、3日の今日は青空さえみえる。
なんて清々しい日なんだろ。
しかし近年の天気予報はよく当たる。
朝起きたら外は雪景色なんてのはよくある地域なので、油断はならない。

新年になって思ったこと。
昨年までは自分の、残りの人生の年月を数えていた。
女性の健康寿命が73.62歳というなら、あと7年しかない。
まるで余命を宣告されたように、行き詰まり感があった。
毎年おこなっている健康診断ではメタボの傾向はあるけれど、特に異常な数字はなかった。たぶん、年相応の健康体。
けれど精神的には、追い立てられるように焦っていた。
旅行に行ったり車に乗ったり、友だちと食事に行ったり、買い物をしたり、自由に動けるのはあと7年しかない。仕事はあと何年できるだろうか。なんでもできる間にやって、もし将来、自由に動けなくなっても、楽しかった思い出があればいいと。
夜中にネットショッピングのいろんなサイトでポチッて、本や洋服や食べ物など、たくさん買った。子育てをしていた頃の自分が見たら、なんて無駄遣いをしていると怒るだろう。
しまいには人生最後の新車を買うのだと、車のディーラーをハシゴして試乗を繰り返する始末。つきあってくれた娘は、困ったもんだと思っていたらしいが、それにさえ気づかなかった。ブリンカーで一部目隠しをされた競走馬のように広い視野を持てていなかったのだろう、たぶん……。

何かの折りに父と母にその話をしたことがある。
父は九十四歳、母は九十歳。年相応に体は弱っているけれど認知はない。
八十歳までコンバインに乗って農作業をしていた父は、その後、自伝を書いたり、しめ縄を作ったり、瓢箪を育てて絵を描いたり、今は浮世絵の模写をしている。父と二人三脚できた母は野菜や花を育て、編み物に精を出していたが、今は新聞や本を読むのを楽しみとして穏やかに暮らしている。
「お前の年頃に、そんなことを考えたことはない」と母は言う。
「まだまだ若い。やりたいことをやればいい」と父は言う。
そこで私の思考は、ふっと止まった。
そうだ、いい手本が目の前にあるじゃないか。わたしはこの人たちの遺伝子を継いでいるのだ。そして想う、六十六のわたしが残りの人生を思うなら、平均寿命も超えた両親はどう思っているのだろう。
「死とは無になることだ。体は土に還り、自分を覚えていてくれた人がいなくなったときに、本当に消えてしまうのだ」と父は言う。
「死んだら、どこか私らの知らないところに死んだ人たちの世界があって、そこへ行くんだよ。先に逝った親や兄弟が待っているんだよ」と母は言う。

某マンガサイトの「バーテンダー」Giass119で老僧が言う。
「仮に百歳から一日しか修行できずとも、生まれ変わった時は一日だけ修行が進んでおる。その意味で何かを始めるのに遅すぎることはない。誰にも時間は永遠にある。覚えておくんだぞ坊主、学ぶとはそういうことじゃ」

死生観は、人それぞれ。それでいいのだと思う。
誰にもわからない残り年月などにふりまわされないこと。
要は、今を生きること。
今年はそうありたい。



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