「もうすぐたべられるぼく」を見て思うこと

たまたま開いたページで見つけた読み聞かせの絵本の特設ページ。
TIKTOKで300万回再生されたものが書籍化されたものだという。
今まで全く知らなかった。
読み聞かせ動画を見て、わたしの心は揺らぐ。

「もうすぐたべられるぼく」 はせがわゆうじ/作  中央公論社/出版

食べられる牛の視点からの絵本。
これの本を孫に読み聞かせできるだろうか。
途中で声がつまって、涙でうるんで、読み続けられないと思う。

食卓に料理として並ぶ牛肉。
わかっているよ、頭の中では。
牛にも親がいて、子がいて、姉弟がいて……。
それは牛に限らず、豚も鶏も魚も同じこと。

お腹の中で育て、痛みに耐えて出産し、乳を飲ませ、慈しんで育てている。
人間と同じように、彼ら彼女らにも親子の愛情というものはあるだろう。
それに目をつむり、殺して食料として食べている私たち。

わかっているよ、頭では。
ちゃんとわかっているよ。
美味しい美味しいといただく料理は、彼らの命をいただいていること。
動物や野菜の命をいただいて、自分の命をつないでいることを。
それを改めて思い知らされる。

けれど、この本を孫たちに読み聞かせる勇気がわたしにはあるだろうか。
勇気……、必要なものは勇気なのか。
食育本という、教育本にはしたくない。
このお話の奥にある深いものを、どうやって伝えればいいのだろう。

大人として、この絵本の中に親子の愛情を見てしまうから、
食べられることを運命として受け入れてしまう「ぼく」を見るから
牛の「ぼく」と「母親」を牛ではなく、人の感情で見てしまうから
自分の立場で見てしまうから
辛いんだ……。

現実に、牛が電車に乗って親に会いに行くことはないけれど、
馬や象やキリンをうらやむことはないだろうけれど
子牛は自分の運命を知らないだろうけれど、
見ていると辛いんだ……。

牛君、自分の運命にあらがうという選択肢はないのかい ?
どうしてそんなに素直に、運命として受け入れてしまうんだい ?
絵本なんだから、もう少し羽目を外すことはないのかい ?
現実にはできないことをしようと思わないのかい ?
電車に乗ることだけでなく……。

それを孫たちと話し合う本なのだろうか、食育本としてではなく。
何を話し合うかは、読む人次第か……。


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