見出し画像

ディズニー配信ドラマ「セックス・ピストルズ」について

ディズニー配信のドラマ「セックス・ピストルズ」についての感想と覚え書きです。これからご覧になる方は、ネタバレになりますので読まないで下さい。

シド・ヴィシャスがベースを弾いてないことは、以前「メイキング・オブ・勝手にしやがれ」というドキュメンタリーを見て知っていました。アルバム制作全過程に関わったエンジニアが、ミキサーを操作しながら、セックス・ピストルズのサウンドの要はスティーブ・ジョーンズのギターであると言っていたのはとても印象的でした。それまで、スティーブ・ジョーンズのことはあまり知りませんでした。セックス・ピストルズの顔はなんと言ってもジョン・ライドンであり、シド・ヴィシャスでしたから。

なので、このスティーブ・ジョーンズの自伝的ドラマ「セックス・ピストルズ」が、スティーブ・ジョーンズの音楽的な奮闘努力にスポットが当たっているのは当然のことだと思います。

また、スティーブとは対立関係にあったらしいジョン・ライドンの人間的な深みも意外とよく描かれているように思いました。読み書きに不自由していたスティーブとは異なり、ジョン・ライドンは文学にも古典的な芸術にも造詣が深く、母親思いで友達思い、対立関係にあるスティーブに関してもその家庭に由来するトラウマや激しい葛藤をたちどころに理解するような人物として描かれています。またいろいろ反論はあるだろうけど、「俺は反キリスト」と歌いつつも、カトリック系クリスチャンとしてのアイデンティティがあり、ストライキ中の労働者家族のためにクリスマスパーティーで歌い、子供達を喜ばせるためにケーキに顔を突っ込むような一面も持っています。

楽器を弾けず、そのことで大きな引け目を感じていたシド・ヴィシャスは、子供の頃に母親からヘロインを打たれ、ナンシーと会うことによって本格的なヘロイン中毒者となり、自傷行為も目を覆いたくなるほどひどくなっていくのですが、ヴィヴィアン・ウェストウッドから「完璧な子」と評され、スティーブ・ジョーンズやジョン・ライドンからも「特別な人間」と言われています。これは、おそらく単にビジュアルが良いという以上のことを意味しているのだと思います。

このドラマについて、ジョン・ライドンが反論する理由もいくつか容易に想像できるけど、少なくともスティーブの目からは、セックス・ピストルズはこう見えていたという正直なところではないかという感想を持ちました。

セックス・ピストルズは、ヴィヴィアン・ウェストウッドという後の世界的デザイナーの店に集まった人達の寄せ集めであり、その多くが親元を離れたことのない若者達だったことが赤裸々に描かれています。マルコム・マクラレンに関しても、ヴィヴィアンに養われている美学校生で、「家に帰るために森を焼き払った迷子」と言われています。このドラマでは、マルコム・マクラレンが一番の悪者ですが、それでもこの人がいなければパンクムーブメントは起こらなかっただろう非常に魅力的な立役者です。

いや、それにしても、このドラマで最も注目すべきは、私にはヴィヴィアン・ウェストウッドであったと思います。彼女こそが、一貫して新しい革新的なパンクという哲学を生み出し、実践し、創造し、それらは今も第一線のファッションブランドとして継続しており、ヴィヴィアン本人もまた健在で地球環境を守る社会活動家としても活躍中です。

ドラマ中で彼女が語る「革命」は、マルコム・マクラレンの語るどこか享楽的な「革命」より説得力と凄みがありました。ドラマの最後にヴィヴィアンがマルコムに「あなたは私の哲学を私物化した」と言い、マルコムが「服を作るしか出来ない女のくせに」と返す場面があります。しかし、ヴィヴィアンの美的な「革命」は今も続いていて、その実体化であるファッションを望めば手にすることが出来るというのは、私的にはとてもワクワクすることであります。お読みいただき、ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?