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塗料メーカーで働く 第七十二話 心配してますよ

 1993年2月26日(金)午前0時頃 川緑は 技術部の居室で 大学の先生への報告資料をまとめていた。

 階段を上がる音がして 居室のドアが開き 入ってきたのは 保安課の堀川さんだった。 

 50歳代 中背 ふっくら体格 色黒の顔に警備帽を深くかぶっていた堀川さんは 「よく続くね。」と言った。

 彼は 「残業するのはいいけど 夜10時以降に会社に残っている人をチェックするよう労務課から指示が出ていて おたくもそのリストに載ってますよ。」と言った。              

 続けて 「もし 何かあった時に おたくの上司が仕事をやらせていたと言ってくれればいいけど そうでなかったら大変なことになるよ。」と言った。

 川緑は 「すみません。 今は止められないんです。 注意して作業します。」と言った。 

 会社を休まなくなってから 川緑の勤務は連日の深夜残業となり 見回りにやってくる堀川さん達 保安課のメンバーとは顔なじみになっていた。         

 会社と組合との労使間協定で合意されていた残業時間は 月に35時間までで 各部署の責任者等は その時間枠内で社員に残業勤務を指示していた。

 しかし 川緑のような渉外担当技術者は ユーザーからの依頼に対応して協定時間を超えたサービス残業を行うことはしばしばで 会社側からも組合側からもこれを厳しく規制することはなかった。

 サービス残業が規制されないのは 渉外担当技術者につき物のユーザートラブルが発生した局面で 時間規制されると ユーザも自社も困ることになるからだった。

 更に 年度末になると 渉外担当技術者は 来年度の事業計画作成のためにユーザー訪問の機会が多くなり 年休取得どころか 休日出勤の代休取得も困難な状況になった。

 組合は なんとか組合員の年休取得率を上げようと 毎年2月に入ると 職場の責任者に 組合員の年休消化を促すように通告していた。

 2月末になると 組合は 代休を消化できていない組合員のいる各職場の責任者へ 代休取得計画書の提出をもとめていた。

 川緑は 米村部長から 代休取得計画書の提出を求められていたが それは 形だけのものになっていた。

 この日 午後9時頃 川緑は 実験室でUVカラーインク サンプルを作製していると そこへ保安課の草野さんが見回りにやってきた。

 40歳くらい 中背細身の草野さんは 保安課では一番の若手で 最近着任してきていた。 

 面長の顔に警備帽を浅くかぶった草野さんは 「川緑さん 保安課じゃ みんなあんたのことを心配してますよ。」と言った。     

 作業の手を止めて 川緑は 「すみません。 心配していただいて。」と言った。

 草野さんは 「俺は 体を壊して会社を辞めた経験があるから言うけど そうなったら会社は冷たいよ。」と言った。

 仕事は増える一方 人員は削減される状況で 追われるように働いていた川緑は 保安課の人たちが見てくれていると思うと 少し気持ちが楽になったように感じた。

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