『ADHDだけど…感覚がよく分からない。』

画像1 僕は、小さい頃から…『人の顔色』ばかり伺って生活してきた。特に、父親の顔色かな?テレビ中継で、『読売ジャイアンツ』が試合に負けると、父親はよく『豹変』していた。『なんで負けるんだよ。』『お前のせいだ』みたいな感覚。ちゃぶ台をひっくり返したり、身内の僕等に当たったりよくしていた。父親の表情『眉間に皺が寄ると』僕、何にもしていないけど、何かお父さんに悪い事しちゃったかな?って、いつも考えていた。小学校時代から、父親に『明るくなれ』明るい奴には、人が寄ってくるけど、お前みたいに『暗い奴』からは、人は離れるって
画像2 言われてきて、僕なりに、作戦を考えてみた。小学校時代は、作戦通り行かなかったけど、中学校時代からは、学校では『根暗』自宅では、よくわからないけど、笑うタイミングわからなかったら、周りが笑っている時に、お前も一緒になって笑えって言われたから、合わせるところから初めたのかな?昔過ぎてよく覚えていないのだけど、僕は…『高校時代』から、『徹底』したのが、『喜怒哀楽』を表現しないことだった。
画像3 高校時代、クラスメイトが、担任教師の言うことにケラケラ笑っても、僕は、本当に笑わなかった。結果的には、教師がキレて殴られたけど、それでも無反応でいた。僕が作る不思議ちゃんキャラクターで、周りから声かけられなくなれば良いと思っていた。彼女出来ても、誰と付き合っても毎回言われるのが、なんで『笑わないの?』だった。『ごめん』と一言伝え、姿を一瞬消したりしていた。とにかく笑わなかった、ではなく…『笑顔とはなんなのか?』僕が、また笑ったら周りに迷惑がられると思っていた。
画像4 完璧は無理だけど、両親に『認めて』もらう為に、家での厳しい『躾』にも、耐えてきた。父親の口癖、『男なら…我慢、辛抱、気合い、根性、根気、謙虚、忍耐、努力』に、力を入れるように言われた。男とは、『外見ではなく、中身』と散々言われた。この頃には、もう祖母は他界していたが、『両親』は、『世間体』を1番気にしていた。
画像5 ある日、父親から…『お前普通じゃない』『人間らしくない』と言われた。その答えは、『感情表現』を忘れてしまったからなのです。