ピンピンころりん子ちゃん 3

「お父さん、そんなことはいわないでください。お父さんのお陰でいい会社に就職することができたんじゃないですか。それに、親の面倒を見るのは、当たり前のことなんですから」
 ぼくはそういって、縮こまる父親の肩を抱いた。

「だけど、世のなかにはもっと不幸なひとがいるもんだ」
と父親は話しはじめた。
「うちはこれでも運のいい方さ。父さん、今日散歩していたら、浮浪者の母子を見かけたよ。ぼろぼろになった服を着て、ばさばさになった髪は、かりんとうみたいに固まっていたよ。赤ん坊はずっと泣いててさ、母親は物乞いをする気力もなかったんだろうね。父さんが話しかけるまで、母親はじいっと、何もないところを見つめていたよ。まだ若いのにそんな身空で、話してみると戦争未亡人だっていってたよ。
 お父さん、そんなふたりを見過ごせなかった。見て見ぬふりはできなかったよ。財布のなかに入ってたお金をぜんぶ恵んでやったよ。
 
 そうしたら、その母親がいうんだ。『このご恩は一生忘れません。いつか必ずお返しします。ぜったいにお返しします』
そういったんだよ。確かにその母親はそういったんだよ」

「お父さん、すばらしいことをなさいましたね」とぼくはいった。財布に残っていたお札を出すと、金額を確かめもしないで父親にわたした。父親ははじめ、受け取ろうとはしなかった。そんなつもりでいったわけじゃない、と父親はいった。
「いえ、それじゃいけません。ぼくが持っていてもしかたのないお金ですから」
「そうかい、すまないねえ。借りということにしておこうか。年金が入ったらすぐに返すからね」
 
 そういって父親は意気揚々と競馬場に出かけて行った。ぼくは、自分がまだスニーカーも脱いでいないことに気づいた。
                        つづく

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