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ピンころりん子ちゃん 12

 長い、多くの、扁平な時間が流れた。ここに来てから何十年にもなる。
 いつのころからか、ぼくはここでの暮らしに、退屈するようになっていた。いまでは、からだのなかでくすぶっていた不平不満がわがもの顔でふんぞり返って、満月のような太鼓腹を突き出していた。
 ぼくがここに来てから、ただひとりも、新しい住人はやって来なかった。
親身になって面倒をみてくれた上司に対しても、ぼくはそっけなくなっていった。彼はいつも活気のないぼくを励まそうと、温かいことばをかけてくれたが、しだいにぼくはどうでもいいという態度を隠さなくなっていた。自分のような人間を過度に尊重してくれる彼の態度も不愉快だった。

 彼は、ぼくの顔を見るたびに心を痛めるようになった。

 確かにここはすばらしい場所だった。それは認めないわけにはいかない。だが、あまりにも整然とし過ぎていたせいだろうか、ここが自分に合っていないことを、ぼくは嫌でも思い知らされていた。いつまでも抜けない娑婆っ気を偽りつづけることなど、できはしなかった。

 あるとき、仕事にひと段落ついたところで、ぼくは上司に話があるんです、と声をかけた。ここを出ていきたい、とぼくはいった。

「いいかい」と聖母のような上司は話しはじめた。「忘れているのかもしれないけど、君はもう死んでいるんだよ。どこにも行くことはできないんだ。

 ここは死後の世界なんだから。

 そもそも、ここは自分で選択して来たというわけじゃないんだからね。どれほどひとに情けをかけた人間だって、どんなに社会に貢献した人間だって、下心のある施しじゃシステムにはじかれてしまうのだからね。ここに来る人間は相応の権利があってやって来る。君は自分にもっと自信を持つべきだ。いいかい、君は成功者なんだよ。君がここにいるということは、君がすばらしい人間であるということの証明に他ならないんだ。わかってくれるね。もうそんなことを考えてはいけないよ」

「ここにいるのは、いったいどんなひとたちなんですか?」とぼくは訊ねた。
「ここにいるものは、勤勉に働き、不正を働かず、陰口をたたかず、だれからも奪わず、裏表なく立派に往生したひとたちだ」と上司はいった。汚れのないその目はキラキラ輝いていた。

「あのお、それなら、ぼくはここにいる資格がないと思うんですよ」
とぼくは話しはじめた。

「なにか手違いがあったんじゃないですか? もう、ここにいることに飽き飽きしてるんです。刺激がないからじゃありません。そんなものはじめからお断りですから。ただもう働きたくないし、なんもしたくないんですよ。ここじゃ女も売ってないし。それにおしゃべりをするのなんて、うんざりなんスよ。ひとことしゃべるだけでクソムカついてきて、だれか殺したくなっちまうんですよ。こんなふうに考えるのって、やっぱ間違いがあったってことなんじゃないですか?」

「そんなふうに話すもんじゃないよ。そんな話し方、君には向いていないよ。君が自分を偽っていることくらい、わたしにはよくわかる。いまだかつて人選に間違いがあったことなどないのだからね。君は選ばれた人間なんだよ。確かに慎み深さは美徳のひとつに数えられるけど、へりくだったいい方をすることはないんだよ」

「さっき、だれからも奪わずっていいましたよね」とぼくはいった。自分のやり口が卑怯であることは自覚していたが、自分がここに帰属していないと感じている以上、この機会を最大限利用するつもりだった。

                         つづく

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