ピンピンころりん子ちゃん 7

 ふらふらと疲れた足が導いた先は、前日にクモを見た通りだった。日の落ちた街で、そのちっぽけな路地は頭のなかのように暗かった。

 ほとんど前日と同じような格好でクモは獲物がやってくるのを待っていた。ぶっくりと膨れた腹は子どもでも宿しているのだろうか。クモは死んでいるようにじっとしていた。 

 ぼくはピクリとも動かない、そのクモが動く姿を見たかった。スニーカーの先でクモの巣に触れた。糸はほとんどくっつくこともなく、スニーカーを離した反動で小さく揺れた。クモは相変わらず、泰然としていた。
 
 一度、二度とそんなことをくり返しているうちに、ぼくはクモの巣を破壊したいという衝動を覚えた。そして次の瞬間、ぼくは思ったとおりのことをしていた。クモの巣を踏みつけると、クモは足元で右往左往しはじめた。あれほど見たかったクモの動く姿を見ても、たいして感情は動かされなかった。逃げまどうクモを見ていると、ぼくは考える間もなくそいつを踏みつぶしていた。そんなつもりではなかったが、クモはスニーカーの裏であっさりと死んでいた。ぼくは足元を確認もせずにどこかへ向かって歩きはじめた。

 あてどなく、夜の街をさまよっているうちに死ぬことを考えた。岩のように、鋼のように、真剣に考えてみたが、それがどういうことなのかよくわからなかった。一睡もせずそのまま朝を迎えると、そのまま仕事場へ向かった。作業に没頭しながら、この世は、ナットとボルトでできているんだ、と信じようとしたがうまくいかなった。夕方、家に帰ると両親がいないことがぼくを安心させた。

 給料日になると、両親が早速たかりに来たが、いまでは作り話をする間を与えずにお金をわたすようにしていた。お金をわたすと、家のなかはとても静かになった。両親は死ぬようには見えなかった。言動も外見も、どこか退行しているせいだろうか、ふたりはだんだん若返っていくように思えた。それにひきかえ、自分はくたびれて、痩せているのに太って見えて、頭は寂しくなり、人生にやつれ果てた中年の悲しみに足をつっ込んでいた。 

 両親が死なない未来を思い描くと、この世は地獄のように思えた。

 プラットホームで電車を待っているときだった。アナウンスが特急列車の通過を告げていた。夕方の駅は仕事帰りの人びとでごった返している。だれかの肩があたり、頭を下げたり、そのままとおり過ぎていくひとがいたり、いろいろなひとがいるものだ、とぼくは思った。
 スマートフォンに溺れて、頭を画面にめり込ませるように、前かがみになっているひとがいる。それは圧倒的多数で、そうしていないひとのほうが珍しい。ぼくは自分もそうしようと思ったが、ただ手を動かすことさえ億劫だった。それよりも、線路をきりきり伝わる振動に耳を澄ませている方がずっとよかった。

 ぼくは自分のことを考えた。自分が人生にそれほど多くを望んでいないことは、物ごころついたときから気づいていた。ぼくは家で静かに本でも読んでいれば世界一の幸せ者なのだ。本を読み終われば図書館に行き、新しい本を借りて読む。それだけでぼくにとっては望外の成功に違いなかった。

 ひとなみに、恋をしたいとも思わなかった。そんなことは友人ひとりいないぼくにとっては人生の外にあるもので、手から光線がでないとか、おまんじゅうが話しかけてこないくらい、まったく非現実的なことだった。
 

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