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ピンピンころりん子ちゃん 11

「ここではだれもが仕事をしなければならない。天国たるもの、常に清潔でなければならない」とスーパーバイザーはいった。

 翌日、指定された場所に行くと、広場で最初に声をかけてきた背の低い男が、ぼくを迎えてくれた。男は軽トラックに乗るようにいった。
 軽トラは、するすると現場へ向かった。どこまでも白い街、白い現場は特徴がなく、もし男に置いていかれたら、とてもひとりでは帰れないだろう、とぼくは思った。 

 車が停まり、ハンドブレーキの音がギギギと響いた。ぼくらは外へ出た。男は、ほうきとちり取りをもつようにといった。支給された仕事道具は、どれも新品のようだった。ま新しいぞうきんはハンドタオルのように無垢な姿をしていた。

 この仕事は仕事とは呼べそうもないほど、下界での仕事とかけ離れたものだった。けがれのない世界はその性質上、汚れることもなかったのだろう。こんな仕事はまったく不要な、名ばかりの仕事だった。ぼくらにできることといえば、あたりにきょろきょろと目を走らせて、汚れていないことを確認するだけだった。仕事をしながら、ぼくらは話をした。

「下界ではなにをしていたんだい?」と彼はいった。
「工場で働いてました」とぼくはいった。
「へえ、そりゃ立派だね。おれは病院の清掃夫をしてたんだ。その経歴が認められて、ここの環境主任になったんだよ」と彼は誇らしげにいった。

 終業のベルがあたりに鳴り響くと、ぼくらはその日の仕事を終えた。
「ほんとうに、ここはすばらしいところだよ。気に入っただろ?」とわかれ際に彼はいった。

 仕事のはじまりも、終わりも、いつも上司が軽トラで送り迎えをしてくれた。平坦な道を振動もなく、とことこと軽トラは進んで行った。ぼくは助手席の窓を開けて、その白い空気を胸いっぱいに吸い込んだ。それはにおいも、味も、湿気もないまま、ぼくの肺を満たした。

 死ぬこともなく、病気になることもなく、学校も試験もない、夢のような理想郷であることは、最初に目覚めた日からぼくは学習していた。不満と呼べるものも、頭のなかには発生しないようになっているのだろうか。ぼくはときどき、自分がどんな人間であったのか忘れそうになることがあって、そのがらくたの詰まった頭のなかを何時間も徘徊することがあった。うっすらと消えつつある記憶は、古いドキュメンタリー映画のようなもので、自分の身に起きたことだとは思えなかった。

 苦痛を伴う記憶も、離れてしまえば滑稽なことが多かった。実際、かつての日々の狂態はコメディそのものだった。コマ数の少ない映像はふたりをきびきび動かしていた。それに翻弄されるぼくもあたふたして、ドジばかりする。それは愉快な暮らしのように見えた。記憶と戯れていると、ぼくは喫茶店や仕事場で、ふいに笑い出すこともあった。

 しかし、何か引っかかるものもあった。ぼくはそうなるときまって、顔をぴしゃりとやって、頭がちぎれそうになるまで振るのだった。それらの映像は美化されているのでは、とぼくは疑った。ほんとうに愉快な生活であれば、最後の記憶との辻褄をどう説明すればいいのか。それが記憶のうそ、錯覚なのだろう。だが、真実だとかうそだとか、そんなことはどうでもいいことだと、すぐに気がついた。

 もちろん、ぼくはここでの暮らしが気に入っていた。仕事が終わると、ひとの集まるところに出かけて、おいしいものを食べた。住人はいいひとばかりで、何かを強制されることもなかった。人びとは慎み深いユーモアを話しては、くすくすと控えめに笑った。

 夜空を見上げると、さえぎるものもない星たちが、幸せそうにまたたいていた。  
                          つづく

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