ピンピンころりん子ちゃん 0
工場からの帰り道、ぼくは一匹のクモを見つけた。それはただのクモで、別に変わったところがあるわけでもないのだろう。ごま粒ほどの八つの眼と平凡に暗い腹があるだけの、ありきたりで、なんの変哲もないクモだったと思う。
ぼくはクモのことなんて何も知らないし、知ろうと思ったこともない。それでも、そのときは、スニーカーの裏が地面にぺたりと貼りついてしまったようで、ぼくには、どうにもしようがなかったのだ。
ぼくの履いている、そのキャンバス地のスニーカーはくたびれて、やさぐれて、崩壊しつつあった。それをスニーカーと呼んでいいのかわからないほどで、紐はところどころほつれ、黄色く、魚の背骨のようにこわばっていた。キャンバスのまだらに色褪せた生地は、じわじわとふくらみ、それはいずれ、すべての色をのみ込んでいく未来を予告していた。
いつか、こんなふうに、すべてのものから色彩は消えてしまうのだろう、とぼくは思った。どんなものにも寿命がある。スニーカーもそう、髪の毛もそう、同調圧力も厭世主義も『時間と自由』もそう。ジョギングや5 Gだって、例外ではないのだろう。おそらくそうだ。何もかもがそうなっているのだから。だれが、何を、どこから見てもわかることがある。このスニーカーは役目を終えつつあるのだ。
足元から顔を上げると、日暮れの空は遠く、ひそやかに輝いていた。ぼくはあちらこちらへ目をやったあと、クモのいる路地に視線を向けた。そこに、長方形に区切られた闇があった。クモの暮らす小さな路地は奥行きがなく、ゴミが散乱していた。
中華料理店と文房具店のわずかな隙間でクモはけなげに生きていたのだろう。黒々とした大きなクモは、なにもない空間にぽっかりと浮かんでいるように見えた。
ぼくは理由もないまま、そのクモを見ていた。微動だにしないその姿は、捕食者というよりも、何かをしている途中でそのことを忘れてしまったひとを連想させた。クモは何か、とても大事なことを考えている、とぼくは想像した。何か、とても大切なことを。
そうしていると、ゆるやかに街の雑踏は遠ざかっていく。クモの足は冷ややかに細く、コンクリートに走るひびのようだった。しだいに、クモの輪郭は周囲の闇にぼやけていった。
ふいに立ち止まったせいだろう。ぼくの頭のなかからは、ごつごつと騒々しく、猥雑で、けたたましい生活のごたごたが抜け落ちている。せわしない人びとの足音やクラクションの悲鳴は、座布団を通して聞こえるみたいに柔らかい。ときおり、車のヘッドライトがクモの路地を照らしていく。細い光は薄汚れた壁を、ゆっくりと舐めていく。そのわずかなあいだだけ、くっきりとしたクモの影はにじみ、のびる。
だが、いつまでもクモに関わっているわけにはいかない。ぼくはその場を離れた。なにしろ、今日はまだ終わっていないのだ。第一部の幕はとじたが、これからはじまる第二部に備えなければならないのだから。
歩きはじめるとすぐに、クモのことなど頭から消えている。ぼくは、考えるべきではないことを考えるために、頭の回線を切り替えた。時間はなにより貴重なものだった。
つづく
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