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ピンピンころりん子ちゃん 8

 ぼくは、家で借りてきた本を開いた。しかし、労働に追われてしまうと、からだはくたびれて、頭はすり切れて、ほんの一行の活字を追うことさえむずかしかった。

 ぼくは本を閉じて横になる。天井を見つめる。それは平たく、健気な様子をしていた。

 何もかも、でたらめにできている。ぼくは、ウィリアム・ブレイクを半年ばかりも読んでいた。それなのに、たった一行のことばさえ頭のなかに響かない。これを生活といえるのだろうか。これが人生と呼べるのだろうか。

 どこからか線路を軋む音が聞こえてきた。その音が告げるのは電車の到着だけではなく、何か別のもののように思えた。それは期待に胸を躍らせる、管弦楽団のファンファーレだった。電車は四角く、赤く、青い。その虹色の姿は、微笑むように進んでいた。
 ホームの端に電車が入ってきたのを、ちらりと目のはしでとらえたとき、ぼくは引き込まれるように、四角い口元に飲み込まれていた。さきほどまで虹色に見えたものも、ブレーキの音が頭のなかで軋ると、たったひとつの色に塗りつぶされてしまった。

 このできごとは、居合わせた乗客にちょっとした興奮をもたらした。ありふれた日常に退屈し切っていた人びとは、ぼくの断片をみようとホームのきわに身を乗り出していた。スマートフォンをかまえて、自撮りをする若者たちがいた。不用心なネカマのおじさんたちは、車体に自分の姿が映りこんでいることも忘れて、シャッターを切りつづけていた。 

 その瞬間のできごとを、ぼくはよく覚えている。ぼくがジャンプをするのを見た女性の声を、ぼくは覚えている。悲鳴のように、歓声のように、短いその声は、すぐに聞こえなくなってしまったけれど。乗客がかまえていたスマートフォンのフラッシュの明かり、そのまぶしさに目を細めたことも、そのときのよい思い出のひとつだった。

 ぼくのからだは、ばらばらになったというよりは、はじけた、どす黒いずた袋という感じで、あたりに散乱していた。名前をもった一つひとつの部分ではなく、ただの赤く黒い、汚いものだった。この色は、居合わせた人びとの記憶に残るのだろう、と考えると少し後ろめたい気持ちになった。中年のおばさんがホームのかたわらでもどしているのを、そばにいた女性が支えている。そういえば、ぼくを見てゲロを吐いたのは、その女性がはじめてではないことを思いだして、不謹慎にも、ぼくは笑ってしまった。

 人間は死ぬが、死ぬことはやっぱり不自然なことでもある。だれもが似通った死生観をもっていたり、まったく別のものをもっていたとしても、死は持ち運びするようなものではないのだから。たったひとつの気まぐれな衝動のせいで、足止めを食うことになった乗客をぼくは気の毒だと思った。ぼくは、ぼくの断片を片づけるひとに対しても申し訳なく思ってしまった。

 そのとき、構内アナウンスが聞こえた。駅員はぼくの三十六年の人生を、『人身事故』として結んだ。アナウンスの声は鼻にかかっていて、どこか茶化しているように聞こえた。

 眠りの時間だった。いつも眠りはすばらしいものだった。

                          つづく
 

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