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赦すこと。赦したあと。

やっぱり他人の話を聞くことは刺激になるよなと思う今日この頃。先日も所属する会員制サイトで【赦し】について気になることがあった。

会員制サイトでのことなので私の体験に置き換えて書いてみる。

私を親友だという人物がいる。
私には子どもが二人いる。
下の子を妊娠した時に友は言った。
「上の子が可哀相。まだお母さんが必要な年なのに」
私は頭が混乱した。
下の子が生まれると、上の子との年齢は2.5歳差。
世の中に2歳差の兄弟なんていくらでもいる。
なのに祝福ではなく、否定されたのだ。

彼女自身3人兄弟でそれぞれ大きな年の差はないはず。きっと自分自身が長子のため、下に兄弟が生まれるたびに寂しい思いをしてきたのだろう。

そして当時の彼女は若年性更年期を患っていた。それが他人の妊娠話とどう関係するかは病気に詳しくないので分からないが、婦人科疾患と大きく縛ってみればツラい話だったのかもしれない。

今なら俯瞰してそう思えるが当時の私はそう考えるには至らなかった。

なぜなら彼女自身の経験から「可哀相」と話してくれれば理解も出来たかもしれない。しかしそんな配慮の出来ない彼女は、これ以外にも私に何かあるたびに心配を装いながら私の心に傷をつけてきたからだ。そしてそのどれも彼女にとっては善意だったのだ。

さてそんな友人との現在の関係はというと、未だ友であるから笑える。
彼女は相変わらず私の事を親友だと思っているだろうが、私からしたらただの同級生に成り下がってしまった。

さてここから彼女への【赦し】について考えてみたい。

会員制サイトでの書き込みは、俯瞰して見れるようになったが傷が癒されていない事がわかったので、いつか手放したい旨が書かれていた。

勝手にその先を推測すると、傷を癒せたら相手といい関係を築きたいと思っている様に感じた。あくまでも憶測である。

本当にいい関係なんて築けるのだろうか?

私と友の場合「あの頃は大変だったのに、自分の経験を踏まえてアドバイスしてくれたんだね」と俯瞰して思えただけで【赦し】ているのではないか?

そこで手放して関係を断つべきではないか?でないと会えば記憶は蘇る。
会わなければ記憶は薄れる。つまり傷は癒されていくのではないか?

だから決していい人ぶって「あの時、アナタも大変だったのよね。今ならアナタを赦せるわ!これから仲良くしましょ」まで求める必要はないと気づいて欲しい。

というのが今回【赦し】について思ったこと。
(※これは状況を俯瞰して見れるまでになった場合の話である。)


⁑おまけ⁑

上にも書いたように私は傷つけられた相手と、単なる同級生とはいえ友として接している。関係を断ち切ればもう忘れられるだろう。

だが今、我が子が密かに復讐をしてくれている。

可哀相だと言われた上の子だが、現状は下の子と双子のように仲良く成長している。そして学力でもマウントを振りかざしてきた彼女だが、子どもの才能に関しては我が子の方が上だった。

もちろん私から彼女に連絡することもなければ、あちらから連絡があっても私の方から子どもの話をすることはない。彼女は私からマウントを取れるネタを探しているようだが、探りを入れてくれば返り討ちにあうだけだ。

私はマウントを取ってはいない。彼女は「どうだった?」の裏に「ダメだった」と返事がくることを期待しているのだ。だが残念な事に「ダメだった」は今のところない。

この友とのやり取りを私の家族は全員知っている。子も自分をマウントの材料に使えばいいと言ってくれるし、夫も何かあるごとに「報告してやれば」というが同じ土俵に上がるつもりはない。

彼女がどうであれ、その子どもがどうであれ、私には関係のない話。
そして我が子がどうであれ、彼女にも関係のない話なのである。

何だかただの愚痴と化してしまったが、今は当時の彼女の思いも想像がつくし、現在の思いも想像がつく。そこまで来たらもう【赦した】といっていいのだと思う。

私は二度と彼女に会うつもりはない。連絡は来るがそれはそれでいい。必要以上に関わらなければ再び傷口が開くこともないだろう。



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