黄金レガシーのストーリ感想全体長くなったので後半(ざっくり)ネタバレあり


後半感想ですが思ったよりトゲがある表現もあり、思ったより納得していない部分があったりなかったり。ただし後半にむけての盛り上がりにたいしてはかなり良かった。ただ、部分部分よかったところがとっちらかっており、全体を通すとやっぱりなんか消化不良を起こした感じがする。
もちろん、ストーリが良くないか悪くないかはと問われれば私は良かったと答える側である。では後半全体のざっくりとした感想を書き留めておこう。


トライヨラの北側いってみるかーからのトライヨラ襲撃


とりあえずウクラマトが王になったのを見届けた後、さあ黄金郷へのりこむぜーとなるかと思ったら、扉の開け方がいまわからん、でもそこでおきた出来事はまたのちほど話すからーと冒険者が急にそっちのけになった。

まあ戴冠式の直後なので忙しいので話す暇ないし、まだ冒険者も自由にトライヨラ大陸をみてみたいだろうからあとではなすよ?ってことなんだろうけど、なんであそこまでの風景見せてもらってなんであとから?ってなった。
エレンヴィルに北側いくなら故郷までいっしょにいくか?と誘われてほいほいついていくことに。
いやそこは話聞こうよ、なんで目の前の黄金郷についておあずけくらうのよ、エレンヴィルもあなた黄金郷について課題だされてたのにみただけでなんで満足してるのよと思ってしまった。
ストーリのメタイところが見えてしまった瞬間である。この箇所もうちょっと話はあとで、という部分の理由付けをしてもらえればと思った。

荒野パートは箸休めパートといった感じ。西部劇ちっくにしたいだろうし、のちのアレクサンドリアへの突撃するための下地つくりとなった。

エオルゼアの技術である鉄道をとりいれたことによる環境への変化。また法という名前の規制。現地のルールもまだまだ残るこれからの世界観を示そうとしたが、理解するまえに襲撃がはじまってしまう。地域性がおなかに落とし込まれる前にストーリが急激に変わってしまうのでいささか消化不良というか、なんでこのパートあった?と感じた人も多そう。
わたしは、荒野パートがはじめてイベントシーンをすっとばした部分がある。悪徳自警団の人(名前覚えていません)をおびきよせる同行クエシーンである。なんどもなんども繰り返しもうちょっとってやる必要ないだろ。初めて物語に対してイラっときたシーンだった。
そのほかは西部劇、といったらそういったことだよねーとイメージ部分しかもっていない私のような認識がある人向けの、オマージュチックな物語だったではないだろうか。なんかここだけどうも漆黒のトロッコのオマージュやら西部劇やらを模倣したいという形が見えてしまってまあまあストレスがかかったパートだった。
ただ素直に受け取るならば、本当に休憩パートといえる部分ではあったのではないだろうか、キャラひとりひとりはいい感じにとりあげられているので、今後のパッチでうまく使われれば間違いなく面白くなる地域であろう。
わたし?休憩パートという形でとらえました。

襲撃からのアレクサンドリア王国へ

エレンヴィルの故郷帰るときに突如おそった謎勢力。その勢力がトライヨラに向かっていることに気が付いたので二人してトンボ帰り。

この部分で感じたことは、グルージャジャが死ぬフラグたってるよな?と物語のメタよみができてしまったこと。
ここでバクージャジャが助太刀に現れる部分はよかった。どこへ姿を消したかわからないけど、なにかがふっきれた感じで、いろんな憑き物も落ちて己のしたいことを自分で決めれたというのが、しっかりを垣間見えた。ただこの人の罪を償わせるとか言われてたけど最後までそんな描写なかったな、、、。自分が気が付いてなかっただけか?

グルージャジャがゾラージャに倒され、自分の思いをコーナとウクラマトに託した部分は、私が感じ取った、今回の黄金のテーマである、死にゆく自分が生きている誰かに受け継ぐというものを見せた形となったと思う。
ここで3人兄弟の決定的な決裂の場面でもあったと思う。
受け継いだコーナとウクラマト。手を払ったゾラージャ。この瞬間もうゾラージャもコーナとウクラマトの道は二度と交わることが無くなった。悪い意味でゾラージャは戻れなくなってしまったのだ。

ちょっとだけ余談だけど、ここでグルージャジャがゾラージャに打ち取られることにより、さあゾラージャへの怒りをもつがいい!という形にもっていきたかったんだろうか?いやここはうまくいってないと思った。
なぜならゾラージャの人物像の掘り下げがひたすらこの時点でもわかりにくいから感情移入ができなかったからだ。
コーナとウクラマトに対する嫉妬心があるのはなんとなくわかる。トライヨラの王になれなかった劣等感にとらわれてるのもわかる、それでグルージャジャを倒したいまではわかるのだが、どうにもこうにもゾラージャを討つといった感情をもつという形には私はなれなかった。ここがウクラマトが主人公である弊害でもある。そういった感情はすべて彼女がもって行動してるからだ。ただ正しい選択をしていないから止めなければならない。といった非常に他人事になってしまっているからだ。
ただこの点に関しては別に悪いと思っていない、黄金の主人公がウクラマトなので冒険者である自分はあくまでもウクラマトの背中を押すだけなのだから。

あとはゾラージャが討たれたとき、グルージャに残した言葉
「俺はお前を、どうとも呼ばない……。どうあれとも願わない……。」
(イベントシーン探してなんていってたっけと探してきたのはナイショ)
この一言がぐっと来た。なんでそこまで愛情もてるだけの心あったのに、、となってしまった。
自分にたいしていろんな枷をかけすぎて歪んだ自覚はあったんだなーとはじめてここで理解できたのはあっぱれと思った。
ただやっぱりゾラージャの掘り下げたりないよ!ものすごくストーリに込められた伏線を読み込まんとあかんのか?と思ったけど、だいたいの人たちは1回ストーリやったら自分でやり直すかと問われてもやらないだろうなあ、、と思うので、これはわかりにくいほうが悪いと思う。もちろん現在ではストーリ配信などをやってくれている人たちもいるので、それをみて理解を深めるといったことはできるが、やはり初見に勝つ感動や納得感は得られないので、このゾラージャのわかりにくさは本当にもったないなと感じている。黄金秘話なので語られることはあるかもしれないが、補足的な納得感は得られるかもしれないが、もっとゲーム内の掘り下げが欲しかった。
あとMMOなので本を読む気楽さと違い、再び40-50時間プレイしなおす気力も時間もないので、ストーリに関してはやり直すことはないだろうなと思う。せいぜいサブキャラでもう一回見たいシーンを見直すくらいだろう。

終盤までのストーリの感想

終盤のキモになるのが、永久人の扱いだろう。その永久人を維持するための根本的なシステム扱いになってしまうのがスフェーンである。
彼女のことはまたNPCにたいする感想で取り上げるつもりではあるが、このアレクサンドリア王国はすでに崩壊した世界となっており、終わるだけの世界となっているのである。
だが世界を維持したいというシステム的なしばりをうけてしまっているスフェーンは諦められない。世界を維持するためにはどんなことでもする。といった最悪な決断をしてしまうのだ。
ではこの永久人は生きているのか、と問われたら私にとってはやはり死んでしまっている人なのだ。あくまで記憶の残滓であり、大切な人がいたらそれはそれで泣いて縋ってしまうだろう。生前に話せなかったことをいっぱいはなしたくなるだろう。でもそこまでなのだ。すでにこの世にいない人なのだ。
こういうこというと身近に亡くなった人いないだろって言われそうだが、そんなことはない。後悔して永遠の別れをした人だっている。勘違いはしないでほしい。
なぜなら、もうなくなった人はそこで時が止まってしまっているからだ。声も姿も記憶のなかでしかもうその人はいない。亡くなった人を偲ぶこともあるけど、亡くなったと再び話をしたいという思いはあれども、また一緒に暮らして笑いあいと思うかと言われたら、ゆっくりお休みという願いしかないのだ。薄情なのかな?

さて再び余談だが、ここで記憶と行動原理が生前と同じならばその人は生きている人といえるのだろうか。といった哲学的な問いがなされているともとらえられる、とどのつまりシステムに投影された記憶と行動原理が生前とかわらねば、その人は生きているのか?ということなのだ。
実際人格をメモリー保存しAIとして行動させるという実験がある。デジタル人格という技術らしい。なので現実でもすでにこの永久人と同じことが起きる可能性が眼前に迫っているのである。さてこれからの世の中、こういった記憶された人格と行動でその情報を生きている人物ととらえるのか。意外とすぐの未来にせまっていることかもしれない。
しかし難しいことをストーリの中に入れてきたなあという感想を抱いた。

最終エリアで感じたことは、暁月でやったことの焼き直しなのが目についてしまった。いやなんで同じようなことを新スタートの黄金でやったんだ。
もちろん一つのエリアごとに永久人たちにもうゆっくりお休みとやっていったので、よかったと聞かれれば間違いなくよかった。ウクラマトがスフェーンが大切にしていた永久人たちのことを胸に刻みたいという願いもわかるが、道筋が暁月の最終エリアとかぶった印象を抱いてしまった。
あっちは命がけひとりひとり仲間が消えていく中歩き続けなければならないという形であったが、今回はあくまでこちらが、敵対したスフェーンの大切な人たちに対してあるいみ終わりを与えていくという、真逆なことしている。

どうもここの少しずつエリアを眠らせる作業がもったいない。暁月の歩みとかぶってしまうイメージを持ってしまった時点で、なんだかなーとなってしまった。

スフェーンに対してもメーティオンとの扱いがかぶった印象を自分はうけてしまい、これもまたもったいなさを感じてしまった。
ついてきたエレンヴィルがずっと無言なのも葛藤がすごいというのは理解できるが、あまりにも無言すぎて最後に爆発するのが遅いよってなってしまった。
もっとも、カフキワもわかっているだろうに、と思ったが、永久人はすでに人ではないと考えているならば、カフキワからエレンヴィルに何も言えなかっただろうなあ。というかなにか言ってはならないと戒めをかけてるようにも思った。
死人から生きた人に声をかけてはいけない、自然の摂理に反するから。そういったメッセージをわたしは感じた。だからこそ永久人たちをこのままにしてはならない。眠らせるのが良いことなのだと。

最期の討伐戦はよかった。がメタイことなのでショウガないが、冒険者以外を追い出してアゼムのクリスタルで召喚術して戦っているのに、いつのまにかウクラマトが飛び込んでくるところ、あそこどうにかならんかったのか?スフェーーン話をきけえってマクロスのパロディか?(冗談です)
ウクラマトの呼びかけで消されたはずの記憶であったスフェーンがでてくることによって、永久人はただのシステムではないというメッセージをみせたかったのだろうが、、、、。まあこのあたりもよくある話で王道展開ではある。王道がゆえに読めてしまったところは惜しい。
あとは神器である世界をつなぐ力が今後どうなるか、がクローズアップされて今後どうなるか!で続くとなる。

最後に簡単なまとめ


全体的に黄金のレガシーは第二部開始としてはわたしなりのストーリの採点としては80点くらいだと感じた。ストーリの設定や全体的な構想としては楽しかったが、細かい部分で変にストーリのながれが良くない。行ったり来たりされた感があり、設定が呑み込めず消化不良を起こしてる部分がちょいちょい出ている。BGMは間違いなく今回はまっているとは感じているし、でもなんか違う。
ストーリの流れの悪さがところどころ違和感として残ってしまい、飲み込み切れない気持ちの悪さが残っている感じがとてもした。
もちろんストーリの流れとしてただの継承式から、鏡像世界による部分的な世界統合、なぞの神器、世界をつなぐ力とはと今後ワクワクする要素満載でどうなっていくだろうかという楽しみはある。あるがーーーなんかこう消化不良なんだよなー感が担えない。
拡張パッケージにしてはワクワク感をもたせたかったのだろうけど、そのワクワク感につながるはずである、後半パートの掘り下げが怒涛すぎて頭にはいるまえにストーリが駆け足で進んだ印象があるからかもしれない。
だから消化不良を起こしてしまっているのだろうか。ストーリ配信を結構あっちこっちに見に行って解像度を上げたくなっている。まあ全部をみるほどではないが、、、、。
7.1からまたメインクエの続きが配信されるのでまた黄金のレガシーにたいする感想が変わっていくだろう。そのためまたメインストーリの追加を楽しみに待ち、実装されるノーマルレイド、零式、アライアンスレイドをいつもの通り楽しんでいこうと思う。

以上まとまらない感想でよみにくい、わかりにくい感想でしたが、自分のための備忘録のため関係なしということでここはひとつ!!

でも最後に、黄金レガシーたのしかったよ!続きはたのしみだよ!それだけは間違いないことをここにいっておきます。


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