形而上学的"現現現代ファッション"推考
ペスブログ vol.9
形而上学的"現現現代ファッション"推考
大人になると時が経つのが早いもので、
10代の頃の5年前、10年前というのは、
小学校、中学校に通っていた、
もしくは
物心つく前という測る尺度が、
ありありと感じる記憶と
学生階級(もしくは体的・精神的な変化)があるから遠く感じるが、
30代の5年前、10年前はついこの間だ。
前置きはさておき
今から5年前(2019年頃)のファッションは
SNSの流行もあって、
ファッションの見える化が進み、過激的な露出が目立ったように思う。
この頃というのは、ファッションにおける少数派・過激派が力を持っていた時代だったのではないか?
と今になって思う。
なぜなら、
SNSへ投稿する為の、他との差別化を図る為の、追い抜け追い越せが台頭し、
芸人コンビ ダウンタウンのお笑い的な、
分かるお笑い、分からないお笑い
のような状態になっていたのではないか?
(筆者はまさにこれであった)
もしくは今現在も。
別の言葉で言うと、
"みんなと一緒が良いけど、みんなと一緒じゃ
嫌だ。"
の矛盾がある種ファッションの本質であると考える筆者だが、
5年前は、
みんなと一緒じゃ嫌だ。の比率が社会的に優っていたのではないか?
とするのは、上述したように、
あくまで個人的問題も含んでいるのかもしれない。
5年前はついこの間と言ったが、
5年前はもうすでに遠い昔である。
過激派の影響は徐々に社会的力をなくしているのではないか?
知人のアパレル販売員によると、
"現場では他人と繋がるという理想の為のツールになりつつある。
自己決定できない。
他人任せ。"
というのが、顕著に見られると言う。
これは、言葉を極端に変えると、
みんなと一緒が良い。
ということの比率が高いということである。
やはりファッションは時代性、社会性としての影響は大きい。
しかし、あくまで、この結論も2024年の結論=プロセスで、5年後の2029年には、
全く違う見解になるだろう。
PESPARK スタッフy
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?