ばあちゃん
6月28日ばあちゃん永眠 103歳でした
29日通夜で、30日葬式
準備にはそこまで携わってないけど、終わった後は凄いエネルギーを持ってかれてフラフラだった
大好きだったばあちゃん👵小さい頃から実家に一緒に住んでて、帰ってきたら絶対ばあちゃんの部屋を訪ねてお菓子をねだってた
沖縄の人だからアンダーギーをよく作ってもらった。冗談抜きに一番美味しいおやつだと思ってる
親に怒られたら、ばあちゃんの部屋に逃げて慰めてもらったり、悲しいことがあっても親じゃなくって、ばあちゃんに相談してたような気がする。
イタズラしても怒られた記憶がない。
いい思い出しかない。
ばあちゃんはとにかく優しかった。近所の評判もよく、地区の最長老としてみんなから慕われてたな。
福祉センターの送り迎えした時も皆んなから城間さん、城間さんって声掛けられて。
有名人やん笑って 当時思ってた
苦労してきた人だ。もちろん戦争も体験してきてるし、沖縄から疎開してくる時は、すぐ後ろの船が 攻撃を受けて沈没したらしい。
そこからの生活も大変だったみたい。
子供9人だからな、まあ想像もつかない
とにかくがむしゃらだったって。
そんな経験したら、誰にでも優しくなれるのかな。
僕はまだ苦労が足りない。
20歳超えて働き出してからは、少しばあちゃんが鬱陶しくなる時期もあったな。冷たくあしらったりして、可哀想なことしたら、ごめんよ
もっとばあちゃん孝行すれば良かったなと思った。
でも、ひ孫合わせてあげれたし、3年ぐらいは一緒に住めたから、それは良かった
とにかく、可愛がってくれた。うちの娘も
ばあちゃん大好きだった。芋ちょうだい、いもー!って毎日ばあちゃんの部屋に突撃してた。
ばあちゃんはいつも、可愛いね、可愛いねって頭撫でてくれた
施設に入ってからも、娘からばあちゃんとこ行こうって言って毎週のように会いに行ってたな。近くの施設だったから。
娘が来た時はばあちゃんの顔が本当に良くなって、元気になってご飯を一杯食べるようになるらしい。 娘の力は偉大だ。
でもコロナになって会えなくなった。急に、理不尽に。誰が悪いわけでもないけど、不満を周りに吐き出して、あたり散らかした
ばあちゃんに、娘を会わせてあげられない。これだけ。もういつ亡くなってもおかしくない状況だったから、少しでもたくさんお話しをさせてあげたかったが、叶わない夢だった
そうこうしているうちにコロナも落ちついてきたから、会いいけるかなーと思ったら
中学生以下は入れないと、面会できないと。
また誰が悪いわけでもないのに、暴言はきまくり、当たりまくり。どうにかできないかなと考えたが、できるわけもなく凹んだ。
そんな生活が続くと、頭からばあちゃんのことが薄れていく。思い出す子供なくなる
娘もそうだった。小学校に入れば友達、勉強、習い事で忙しくなるから、まったく会わない人のことは考えなくなるし、他人事になった。
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