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一年の計、23の計、人生の計

こんにちは、らっくすとーんです。
さて皆さん、2024年ですね。
幸先が良いとはお世辞にも言い難い波乱の幕開けとなりました。
元日に起こった能登半島地震、それに誘発されるように起こった日本航空機と海上保安庁機の衝突事件
これら2つの事件はわたしにとっても、とても衝撃的なことでした。人生で航空機が爆発する瞬間を見ることになるとはよもや思いもしませんでした。
社会が混乱に陥り、決して少なくない命が無情にも失われていく中で、正月から図らずも
「自分の命はどう在るべきなのか?どう生きたらいいのか?」
「社会の中で正しい行いをするってどういうのとなのか?」

などと、人生の核心に迫る思索に駆られていました。

そして、2024年1月17日、わたくしらっくすとーんは23歳になります。
成人のはじまりである20歳でもなく、

撮影場所地元近いらしい

拳で抵抗、と息巻ける21歳でもなく、
ゾロ目の22歳でもなく…
正直23歳と言っても特に何かがあるわけでもないです。
同級生も「正直ここまで来たら誕生日そこまで嬉しくなくね?」と言ってる子がチラホラいて、まぁ確かに昔ほどは嬉しくないのかもなぁ、なんて考えたりします。

だからこそ、23歳の「ももクロちゃん」ってどんなだったんだろう?と思いを馳せてみると…
れにちゃん:2016/6/21~2017/6/20
ももクロパンチスタート、まるごとれにちゃん
夏菜子ちゃん:2017/7/12~2018/7/11
かいけつゾロリ映画に声の出演、杏果脱退桃響導夢
(杏果:2018/3/15~2019/3/14)
しおりん:2018/6/4~2019/6/3
(探したけどあんまりいいの見つからんかった…しおりんゴメン…)
あーりん:2019/6/10~2020/6/9
ももクロ一座の座長、浪江女子発組合結成、コロナ禍スタート
…めっちゃ濃くない???
特に夏菜子ちゃんの桃響導夢とあーりんの浪江女子発組合結成のインパクト強すぎるんですが。
同じ23歳としてこれだけの器にとてもなれる気がしなくてなんだかクラクラしてきました…。
始まったばかりのものに絶望しててもよくないので、気を取り直しましょう。

今まで、1年の目標とか〇歳の抱負とか、「なりたい自分像」って思いつきのものをパッパッとあげて済ますことが多かったのですが、先にも挙げたように
・いつ失うか分からない命を抱えていること
・わたしと同い歳で大きなことを成している人が自分の知りうる限りでも多くいること

この事実を省みた時に、この1年、ひいては自分の一生をどのようにしたいか、何か確実な根拠をもって真剣に考えたいと思いました。
今ここで考えておかないと、後々自分の指標を持っていないことに後悔するだろうと思ったのです。
来年は国試を間近に控え、それ以降はおそらく仕事に忙殺され…。先を見通せば見通すほど、真剣に考えるなら今しかないと思うわけです。
というわけで、年明けから色々考えた「なりたい自分像」を23歳の抱負、そして人生の目標として書いていこうと思います。

「モノノフ」から「武士(もののふ)」へ

これは、私がずっと薄ぼんやりと考えてきたことです。
皆さんもご存知の通り、ももクロのファンは「モノノフ」と称されます。
でも単にその意味でのみ「もののふ」と呼ばれることにわたしは満足していません。
どうせなら、本当の意味で「今を生きる武士(もののふ)」と呼ばれるほどの人間でありたいと願うわけです。
ただ、武士という身分は100年以上も前に廃止されており、もはや空想上の概念に等しい「武士(もののふ)」を、何の根拠もなしに語ることは不可能です。
なので、わたし、買っちゃいました。

オーラの時点で既に敷居が高い

作品名を聞けば姿勢を正すような文学や思想本が名を連ねる岩波文庫、初めて自分のお金で買いました。
まぁ人生の目標を立てようとしてるのですから、これほどの思想に触れないと、人生を賭けるべきものにも出会えないでしょうし。
それに、実はわたしは仮にも世間で高学歴と称される医学部の学生。
普段IQ15くらいのことしか言わないけど、頭がいいとこ見せちゃうんだからねっ!☆

この書籍のことをネットで調べると、これが著された数十年後の第二次大戦と関連づけられ、かなり強い言葉で『武士道』を批判する言説を見かけます。
確かに『武士道』が書かれて既に125年が経過しており、これだけの長い時間の中で当然日本人の価値観も変化するので、
「それは現代社会に適用するのは流石に無理があるのでは…?」という記述も普通にあります。
しかし、実際に読んだ感想としては、この書籍を必要以上に貶す人は多分ちゃんと読んだことがないんだろうなあ、というものです。
流石に明治時代の文化人代表の記したものだけあって、武士道の「義」や死生観が捨て駒を使う口実として濫用されることを予見し、強く非難されています。それだけの先見の明を持って書かれた本だということです。

話が少しずれましたが、その『武士道』の中ではいくつもハッとさせられる記述があったので、それを簡潔にまとめてみます。
・徳行を刺激するものは「愛」であるべきだが、それがどうしても生じてこない場合、人の理性を動かして義しく動かすものが「義」である。
・正しい勇気や敢威堅忍の心無くして、「義」は卑怯者の口実となる。
・勇気とは「犬死=死に値しないことのために死ぬこと」ではない。恐るべきものとそうでないものを見分ける力こそ勇気である。
・勇気の静止的状態が「平静」である。勇気のあるものは常に冷静である。
・礼は仁の心から発せられるものである。他者の感情に共感し、他者を慮る振る舞いこそが「礼儀」である。
・信実と誠実なくしては、礼儀は茶番であり芝居である。
・恥はすべての徳、善き道徳の土壌となる。
・名誉の感情の暴走を抑えるものは「寛大」「忍耐」である。
・日本で正しいとされることが(≒忠義)が海外で通用するとは限らない。
・主君の邪な思想のために自己の良心を犠牲にする者への武士道の評価は低い。そのような思想は文字通り「命懸けで」正すことが誠実さである。
・先生と呼ばれる者が敬われるのは「知識」ではなく「品性」がゆえである。
・忍耐せよ。自分の苦痛を露わにすることで他者の安静を害するな。
・死に急ぐことは卑怯な行為である。全ての災禍困難から抗い耐え抜け。生きることが怖くても生きることが真の勇気である。
・自身の持つ「凶器」を濫用する者は卑怯である。然るべき時が来ることは極めて稀である。
・「活力を与えるものは精神でありそれなくしては最良の器具もほとんど益するところがない」
時々「散華上等」のように揶揄されている「武士道」のイメージとはまるで駆け離れた記述の数々で目を丸くして読んでいました。
自身の命にも他者の命もとても重く扱っていて、だからこそ自身の信念に関わることには、そのめちゃくちゃ大事な命を懸けるほどの熱量で挑めよ、と言われている気がします。
そして、『武士道』ではとにかく「他者への配慮」「他者のために耐え忍ぶ」ことの重要性がひたすら強調されていました。
この書籍にも少し記述がありましたが、西洋的な個人主義がかなり浸透した現代社会においてこれらの要素はしばしば二の次にされがちですが、「他者を慮る」気持ちは忘れずにいたいです。

あーりんになりたい

マジで言ってます。マジで。
一昨年の夏のドキュメンタリーを見てから、あーりんの人間性に漢LUCKSTONE、ガチで惚れ込みました。
本当にこの人はどれだけ自分の外のことが見えているんだろう。自分に対する解像度がどれほど高いんだろう。
それ以来、殊あーりんに関しては、その人となり、つまりあーりんが何を考え何を行動の規範としているか、に注視をしてきました。
そして昨年の年末、美人百花のホームページにあーりんのインタビュー記事が掲載されたということで、正月の夜、いい歳した男がそのインタビュー記事を読み耽っていました。
わたしのポストで、大事にしたいと思った点をまとめたので掲載しておきます。

特に
・自分自身を客観視(自分に与えられたアイコンで自身を俯瞰する)
・「他者の期待値が高くなる」振る舞い
・「過度に落ち込まない」ポジティブさと、「諦めるものは諦める」ネガティブさの両立

といった要素が、あーりんの他の3人とは異なる魅力として自分の中に感ぜられるのかなあと思いました。
多分あーりんって、「あーりん」というキャラクターとは自己肯定感という意味で乖離していると思うんです。
多分素の自己肯定感はむしろ低い方だけど、「あーりん」というキャラクターは「自分は圧倒的に可愛い」という感じなので、そのキャラに徹しているんだろうなと感じます。
その、自分の本当の気持ちと、アイコンの持つ性格の狭間で上手くバランスを保っている秘訣がおそらく上記のような「あーりん的思考法なんだろうな」と感じます。

わたしは自己肯定感が相当低い部類です。しかもそれゆえに周りのことが見えなくなることも多々あります。
自分の人間としての課題を解決するために、上記のような「あーりんが意識していること」を自分も心がけて、長い時間をかけたとしても自分の血肉に変えていきたい、23歳はその始まりの1年にしたいと思っています。

いくつになっても変わらぬ願い

ここまでは、最近見聞きしたことを中心に書いてきましたが、最後にわたしが昔からずっと大切にしてきているものを2つ紹介して、この文章を締めくくろうと思います。
この2つは今際の瞬間まで大事にしたいです。

1つ目は、ウルトラマンエースの言葉です。
敵の謀略によって地球にいることができなくなった彼の最後の言葉は、小学5年生の時に聞いて以来ずっとわたしの大事な指標となっています。
「優しさを失わないでくれ。
弱いものをいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。
たとえその気持ちが何百回裏切られようと。
それが私の最後の願いだ。」

2つ目は、ブッダの教えの一つである「犀の角」です。
この教えは、わたしが中学2年生の時に出会ったお医者さんに教えてもらいました。
ちょっと原文が長いので、全部載ってるサイトのリンクを貼っておきます。

こうして見ると、『武士道』の記述と似通ったものをある意味感じます。
わたしはこの社会の中で決して独りで生きているわけではありません。周りの人の優しさに生かされています。それは宮崎に来てから特に強く感じるところです。
それでも他者の存在に絆されず、自分の力だけで決断して、戦わなければいけない場面もたくさんありました。
ここぞという時に、他者の存在に惑わされることなく自分を律することのできる大人になりたいものです。

総括

以下は、上記の全てを省みて、自分がこうありたいと考えるものです。
完全に自分のための備忘録なので悪しからず。
・恐るべきものとそうでないものの境界を知り、平静を保つことを心がける
・自分の命も他者の命も決して軽んじてはならない。命を懸けるというのなら、「死んでもいい」という気持ちではなく、それほど重いものを懸ける覚悟を持つ。
・自身の権威や能力、自分の所有する「力」に酔うな。もし慕われるのなら、その品性ゆえである。
・他者を慮り、それゆえの忍耐を惜しむな。
・「他者の期待値が高くなる」ことは何か常に考え、それに徹する。
・自分自身はコミュニティの中で何を求められるか俯瞰して探究し続ける。
・過度に悩まず、諦めるべきものとそうでないものを見分けてそれに従う。
・何度壁に直面しても裏切られても優しさを忘れるべからず。
・究極的には独りでも自分の為すべきことを為せるように、他者への依存度を上げすぎない。


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