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記事タイトル ヒカキンたちが みせてくれた 夢   YOUTUBE 今 雑草 夢 光 Fire 

やはり 吾峠せんせい と 和久井健さん は マンガ力 が ちがう ・・・

濃厚な説得力   これは 大きなポイントだ   リアル リアリティ も かんじさせ ・・・
マンガの襞 ( ひだ )? を よむ能力に 潜在的に すぐれている   芸術 を よむ ちから ・・・   やはり にんげん に とって  芸術 は  アリ なんだ

いちいち口にするのも だせー わけだけど   吾峠せんせい は 鬼滅のあとも クリエイト できるわけですし ( おそらく その能力から!! ) 和久井健さん も 線 を しっているから  線?みたいなものを 体感で体得しているから 平気でジャンプに 通用する作品 を のせられてしまう   ふつう の 人はすぐ ひとの事を 天才だ天才 と 言うが  思慮が浅い だけだ  考察をしないだけだ    なんでも 口 を 開けていたら  鬼滅の刃のような作品が あたり前にくるし じぶんでも描ける と おもっている ( それを ごう慢 というのだけど ・・・   鬼滅から学ばないで じぶんが鬼滅を描ける! と おもっている 心 だ )


そういう 戦略性のえがき方は まるで ヒカキンやセイキンたち の ようだ   だから ヒカキンは 加藤純一をも 吸収して  あれだけの 存在 に なった    よのなか 政治 政治 政治 に あふれている   どこで ハメられるか わからない   その点 ヒカキンは 髪の毛1本で かわすのは うまいわ  天下にブランドを認めさすわ  あれ以上 ないのではないか   ???
ヒカキンには ただ 脱帽 呆然 としてしまうだけだ  すごすぎて



じぶん の 情けなさ に 愕然 としている   それは 鬼滅の刃 と 東リベ  吾峠せんせい の作品と 和久井健さんの作品は  現実 にたいする リアル リアリティ に たいして  切実さ が ちがう

言いかえれば  『 ぼく は わたし は こんなにマンガ アニメ を 愛しているんだよ❢❢ 』 という  気がい が ちがう
そら 集英社  フジテレビ で 天下をとるわけだ   ぼくは あれだけの気がい に ゾっとした   ぼく は  ただ 鳥山明せんせい という お釈迦様の手の平のうえで 遊んでいた小僧 に すぎなかった

ドラゴンボール も 打ち破るあの 痛烈さ 痛快さ って なんだ   ❓❓❓

よく おれは 読まさせてもらえるな ・・・ と おもったものだ   リアル リアリティ 潔さ で 貼り倒された気分になった   濃厚な説得力 が ちがいすぎるのだ  器用で 爽やか?で とおるような  颯爽と 柱 が あって ・・・   マンガ アニメへのタクティクス性を わかっている   あのかんじ ・・・  きっと暮らしぶりだって みえてくる

よのなか ってのは  鬼滅 東リベ を 真摯にみて学ぶものを おれば  そうではない   マンガなんざあ あたり前  と 一切くべつもつかないひとたちも おる   不思議でしゃあない   まるで 基準がないと どう楽しめばいいか わからないじゃないか   ???


せんきょう を よめるかよめないかで  こうも リアル リアリティ が かわってくる   鬼滅や 東リベ  吾峠せんせい 和久井健さん は 褒め過ぎても 図に乗らない  もう 文字どおり 図に乗らない だろう    だから あれだけの  じぶんの版図 を 描けたのだ


並みの 氣がい と 惰性では  相手になるわけがない   鬼滅や東リベを みて  学ぶひともおれば 学ばないひともおる   むしろ つごうの良いところだけ 抽出 して  いきがろうとするものも おる


それも 又 にんげん也 ・・・   という感じか?   ❓❓❓


















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