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【小説】神州ストーム・スパイダース①


二兎追う者一兎をも得ず。

 これが歴代総長たちの守ってきたスローガンだということは、組織にわりあい従順な連中にとって悲しい事実だった。上手くいっている学生突撃隊の隊員は、州都の学際クラブで大手を振って歩ける。後ろ指を指されるようなことはないから背後を気にしないでバーの止まり木に憩うことが出来る。しかし、隊がほとんど二分されて、現地の青年団からも馬鹿にされているような部隊にはまるで居場所がない。むしろもう一方の愚連隊の方が居心地よいのではないかと思われたほどだ。
 
第二十一学区の学生突撃隊は組織的にまとまりのある一兎組と愚連隊と化した二兎組とに分かれている。もちろん自分たちでそんな言い方をするわけがない。外の青年団の連中が馬鹿にしてそう呼んでいるのだ。
 二兎組は大小のサークルが緩やかに連合した形態をとり、校舎の敷地にある林の中にいくつかのバラック小屋を建ててアジトにしていた。この集落の中心にあるガレージは一応隊全体の持ち物なのだが二兎組が事実上占有している。
 非権威主義的な彼らは独自に総長を立てることはない。気分次第の遠乗りや酒盛り、そして突発的に起こる内輪もめの主催者、調停役が暗黙の裡に決まるというのがお決まりのパターンだ。
 トタチイデ・タツタもまた、そうしたいきさつで五つばかりの集団を束ねる二兎組の頭領になっていた。
 
 「一緒にいかがです?」などと新入りはちょっとかしこまった物言いを彼にする。
 「今日は雨だ。誘っても無駄さ。」
 カウチでタツタと並んで座っているアカザワは読んでいた雑誌を正面のテーブルに放ると笑いながら言った。
 「タツタさんほどの人でもメランコリックになるんすね。」
 「いや、そんなんじゃない。魚が丘に上がれねぇのとおんなじさ。」
 さっきの新入りは笑い声を残して再びゲームに向き直った。
 アカザワは灰皿のタバコ休めから一本取り上げて咥える。きれいなバーバースタイルで整えられた髪型は二兎組らしくない。
 彼は隣でぐったりと前のめりになっているタツタを小突いた。
 「おい。」
 タツタは生気なくひじ掛けの方にかたむく。
 「寝たふりしたって無駄だぜ。貸した金、いつ返してくれるんだよ。」
 もう一度小突く。タツタは彼の方に頭を向けると前髪の下から切れ長の大きな目をのぞかせて問い返した。
 「金ぇ?」
 「そうだ。ガソリン代が一五〇〇。昼飯が一五。むこうのカッフェで二〇。夜食で入ったオートマットで一〇。しめて一〇四五だ。耳揃えて返しやがれ。」
 「貧乏人の苦労も少しは考えろよ。何事も余裕が大事だ。モテたくないのか、お前?」
 「その余裕のための徴収さ。」
 そう言うとアカザワは鼻から煙を吐き出した。彼の口元が緩んでいるのをタツタは見過ごさなかった。
 「てめぇ、なんか事情がありそうだな、え?」
 さっきの様子が嘘のように、タツタは勢いよく身を乗り出した。その振動でアカザワの身体がふかふかと弾む。ゲームに興じている連中も彼のことを囃し立てた。
 「相手は誰なんだ?イシクラか?」とタツタは訊ねたが、アカザワはこういったことを披歴するのを好まない。煙草の燃えさしを灰皿にギュッと押し付けると黙って窓際に歩いて行ってしまった。
 「ちぇっ。ケチ。」
 
 ガレージの二階からはそこに続く未舗装の太い道とその両脇に建っている二、三のバラックが見下ろせた。年に一度か二度というような大雨のせいでそれらの風景はまったくかすんでしまっている。気取り屋ではないアカザワも何となく浮世を離れたような気分になった。
 その時、道の向こうから二台のバイクが走ってくるのに彼は気づいた。前を行くバイクの車体は派手な黄色だ。
 「おい、二番隊隊長のお出ましだぜ。」
 カウチに横になろうとしていたタツタは素足で虫を踏み潰したような顔をする。
 「なんで?」
 「知らねぇよ。」
 外の二人はバイクをガレージ正面に停めるとそのまま出入り口に向かって歩き出した。黄色いバイクから降りた女が外套のフード越しにアカザワの居る窓の方を見上げてきたので、彼は笑顔を向けて挨拶した。しかし、女の目つきはとても険悪で無数の雨を突き抜けて窓ガラスに穴をあけるのではないかと思われたほどだ。
 「ともかく、この部屋の入り口辺りからものをどけた方がいいな。例えば辞書とかね。」
とアカザワが言うか言わないうちに、階下から階段を飛ぶように駆け上がる音が聞こえた。二段飛ばしか三段飛ばしかわからないが、ともかく足音の数と階段の段数の帳尻が極端に合わなかったのは確かだ。
 ドアが壊れんばかりの勢いで開かれて、次の瞬間には重りのような辞書がカウチ目掛けて飛んでいった。
 辞書はカウチ横のルームライトにぶつかってそのポールをへし折った。タツタはカウチから落ちて尻をしたたかにうち、他の皆はまだ窓から向き直っていないアカザワの周囲に脱兎のごとく逃げ出した。
 「トタチイデ以外、全員出ていけ。」という低い女の声が響く。サナビ・ラサは外套から水滴を滴らせながら、入り口に仁王立ちになっていた。美しい茶髪を後ろに束ねている様は若い侍のようである。彼女の後ろには補佐役のツジが息を切らして立っていた。
 「同じことを二度言わせるなよ。あたしは出て行けと言ったんだ。」
 彼女はひどく殺気立っている。口を開きかけたアカザワも思わず口をつぐんでしまった。彼はタツタの方に目をやったが、タツタは腰を抑えて体を前後にゆすり、いてぇいてぇと繰り返している。
 「まぁ、いい眠気覚ましかもな。」と隣の男に耳打ちしたアカザワはサナビの方に歩み寄る。
 「俺たちは下に降りてる。まさかこの雨の中外に出ろとは言わんだろ?」
 彼女はタツタを睨みつけたまま答えもしなかった。皆はいそいそとその部屋を辞し階段を降っていった。
 「ツジ、あんたはドアの前で見張りしてて。」
 「わかりました。」
 ツジは下から見上げているアカザワ達に顎で「さっさと降りろ」と合図した。彼らはドアの前に舞い戻ってどんな話が持ち上がるのか盗み聞きしようとしていたのだ。
 
 ラサはトランプの散乱した机の方へ行き、倒れていた椅子を引き起こして腰かけた。敢えて抑制しているらしく、振舞いにさっきのような乱暴さは無くなっていた。足を組むときに彼女のロングブーツがこすれてイルカのような鳴き声をあげる。
 「あんたとはいいダチになれると思ったのにな。」
 タツタは相変わらず腰を抑えて這いつくばっていたが、その様子はいかにも大げさで「本気にしないでくれ」と背中に書いてあった。
 「さっきね、旧市街の奴があんたを迎えに来たんだよ。なんでもカキモトの使いで来たんだと。カキモトっていやあ、あのムカデ組の総長だよな。なんでウチの三番隊隊長にして全隊の副隊長であるあんたが下の連中とつるんでるの?」
 彼女の追求に対してタツタはあくまでも往生際が悪かった。タイミングを逃したのか悪趣味なのか相変わらず演技を続けている。
 「あたしはあんたに直接説明してもらいたいんだ。」
 この言葉が人の形を取るならば、彼の腰はピンと立っていたに違いない。それは演技性の無い本心からくる要求だった。
 そのくらいのことはタツタにもわかる。彼はおふざけはやめ、拳銃を突き付けられた犯人のように両手を頭の高さにまで上げた。
 「サナビ、お前が一体何を考えてるのか、俺には皆目見当もつかない。お前はサルをお役人にしようとしてるんだ。」
 「いいえ。あんたはサルじゃない。だからウチの副隊長の肩書もあげたの。幹部用の制服も突撃服も、あんたの器を見込んでのことよ。」
 ラサはそういうと腕を組んだ。
 「この期に及んで何が不満?」
 外は段々と風も出てきたようだった。雨脚はちっとも弱まらない。
 「不満なんてとんでもない。ネズミにとっちゃどれも不相応なご褒美だよ。しかし、ネズミは病気をばら撒くもんだってことも頭に入れておかなくちゃ。」
 タツタはそういうと顎をぐっと引いて振り返った。口を半開きにし、鼻をひくひくさせている。いかにもいい加減なネズミの真似だった。
 「あんたは自分を見くびりすぎる。」というラサの表情は冷淡さの下に少女のふくれっ面を隠していた。


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