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家族という連帯責任からどう逃げるか

昨日は早起きして掃除をしてました。

桜が綺麗ですねー。

先週末のお遍路から帰宅してからお天気が悪くて
掃除が出来ずイヤだったんだよね。

お遍路記事はFBにアップしたので後日まとめます。 

片付けは帰宅してすぐに全部済ませてます。
(気持ち悪いからそのままとか無理なんよ)

浄化用のお線香を家中に焚きました。
(窓全開でみったんがいる部屋は閉めてます)

スッキリして気持ちが良いねー!

 
夏至&夏越しの祓いの準備を始めました。
しっかりお届け出来ますよう頑張りまっす!
(春分の個別メッセージはしばしお待ちください) 
 
準備の帰りに映画を観て来ました。

そうそう、
シン・仮面ライダーは先週中に観て来た。

映画は1番スクリーンで観たいから
1週目に出来るだけ行くようにしてます。
 
感想は、面白かったですよ。

シン・キャシャーン、シン・デビルマンも
庵野監督に作って欲しいわ。

シン・ウルトラマンも観てます。

キャシャーンは映画を観に行きDVDも持ってるし
デビルマンの実写版を見に行くくらいは思い入れがある。

 
さて、今日観た映画はこちら。
 
【ロストケア】

 
感想の前に。

和田秀樹さんと湯原悦子さんのコメントをご紹介します。

『老年精神科医 和田秀樹
以前の大新聞の調査で日本の介護殺人は
3年8か月に179件というものがあった。
年間1000件も殺人が起こらない国で、
5%は介護殺人だということだ。
もちろん幸せな介護はあるが、
それが呪縛となる地獄の介護もある。
だから私は施設介護を患者家族に勧め続けてきた。
原作のサスペンスも素晴らしかったが、
それとは違った角度でいつ起こってもおかしくない事件の心象風景を淡々と描く前田哲監督の力量に感服させられた。』


『日本福祉大学社会福祉学部教授 湯原悦子
(社会福祉学博士、日本福祉大学ソーシャルインクルージョン研究センター長)
社会福祉を研究する立場として拝見し、
素晴らしい映画だと思いました。
介護をしていく上で直面するさまざまな困難、
そして社会から孤立し追い詰められていく様子がとてもリアルに描かれています。
また、介護を受ける本人の苦しみも描かれており、
多く裁判を見てきた私にとっては「まさにその通り」と感じる描写でした。この作品のテーマは「なるべく目を背けていたいこと」なのかもしれません。しかし今の日本が直面している重要な社会問題であり、介護は誰もが少なからず関わることでもあります。ぜひ多くのみなさんにこの映画をご覧いただき、「自分だったらどう受け止めるか」を考えるきっかけにしてもらえたらと思います。』

 
私が気になった部分はこちらの2つです。

【呪縛となる地獄の介護もある。
だから私は施設介護を患者家族に勧め続けてきた。】

【介護をしていく上で直面するさまざまな困難、そして社会から孤立し追い詰められていく様子がとてもリアルに描かれています。】

私が29歳から32歳まで行ったトリプル介護は
助けも補給も一切ない自分だけが頼りの
孤立無縁な戦争でした。

その前からの「家族」を支える為に
トリプルワークや16歳から365日休まず働いたツケも出てただの風邪から脳に後遺症が残る病気や婦人科系の病気からの不妊にも。

これらの全てが
「家族という連帯責任」である社会で
どれだけの人が「個人」として生き
人生を楽しめるのだろうか。

まずは「個人」に区分けされなければ
共倒れは減らないと考えます。

「家族」頼りのケアからの脱却がなければ
未来は暗くなるばかりだと思います。
 
自助は確かに大事です。
ただ同じくらい公助も必要かと。

この映画はたまたまFBに上がって来て
予告は相変わらず見ないで観に行きました。

初っ端のゴミ屋敷と化したアパートと
死亡してから2週間後の死体の跡を見た時
自分の両親のゴミ屋敷化したアパートや
孤独死した2人が重なり
両親共に腐乱死体でなく本当に良かったと改めて思いました。
 
父は入浴中に死亡し
次男弟が発見しました。

母は宗教系新聞が溜まっているのを
宗教繋がりの方々が不審に思い警察に連絡して発見。
死後は検死の結果、多分発見1週間前ということでした。

アパートの現状回復にどれだけの金額が掛かるかを知っているし、お世話になっているお坊様から孤独死後の色々を教えてもらっているので更にホッとしました。

最悪の中の最悪にならない「運」はあるようです。


警察の方々が「ウッ!」となるくらいの
ゴミ屋敷での捜査に申し訳なく思いましたね。。

私が10代の頃から近隣から苦情が来るので
何十回も片付けて掃除もしてました。

家賃を滞納し引っ越しするたびに
数百袋のゴミ袋を出したりね。

でもね、明らかに生ゴミとかでも
捨てたり片付けると発狂するかのごとく暴言や暴れたりします。

どんなに優しく諭す言い方をしても
母が落ち着くことはなく
むしろ優しく言うほど酷くなり
最後は低音で「黙れや」と威嚇して
黙らせて片付けと掃除をしてました。

威嚇して黙らせる。

人間として最低なことをやってますので
私は地獄行きは確定ですね。 

私は何も悪くない!
私はこんなに頑張っているのに!
誰も私を助けてくれない!
誰も私を褒めてくれない!

母はいつもこう言いながら泣き叫んでいました。

家事も育児も放棄し
祖母に丸投げし
働きに出ることもせず。
 
両親は母の祖母、母の兄弟、私達姉弟から
お金を工面させました。

父は代々続く老舗の和菓子屋の1人息子で
祖父(私の曽祖父)からめちゃくちゃ甘やかされて育ち
店の女中に手を出し、金を使い放題使い
親族から放逐されました。

跡取りは分家の従姉妹が継いだそうです。

父の父(私の祖父)は
父の親友の母と不倫をし腹上死してます。

父は死ぬ前年に
親友と親友の母が
自分から父を奪ったと恨んでいましたね。

「おまえは何人も子どもを見捨て殺しているくせに
(私の前に姉が中絶されています。他にもあるかと)
何を被害者面してる訳?」と私に詰められ父は逆ギレしていましたが。

父の母(私の祖母)は新円切り替えで
財産をかなり失いおかしくなっていったそうです。
 
私の母方の親族も異常な人間が多いし
母の母(私の祖母)は5歳で売られて関東に来てますし。

金持ちと貧乏の極みが私の家系にはいるって事ですが
どちらも頭がおかしい人間ばかりです。

 
父はボンボン気質が治らず
定職に就けない人間で借金まみれでしたね。
借金取りの対応は小学1年生から
私の役割りでした。

母は風呂に滅多に入らず、服も洗濯せずに
ほぼ同じ服を何年も着続け、
ただただ仏壇の前に座り勤行題目を唱え、
ひたすら宗教にのめり込んでいました。 

両親が何を努力し頑張っていたのか
私にはいまだに分かりません。

行動が伴わない祈りに
変化も奇跡も起こる訳がないのは
母を筆頭に父、親族が実証を出し
学ばせてもらってます。

私は中学生くらいまで
母や父や親族だけが頭がおかしいと思っていました。

でも高校、社会に出て、子育てをし、その間に母と全くそっくりな言動や行動をする他人や友人知人を見るにつけ絶望したことを覚えています。

あのセリフを言うのです。

私は何も悪くない!
私はこんなに頑張っているのに!
誰も私を助けてくれない!
誰も私を褒めてくれない!
と。

他責が強い人(一見自責が強く見える人)に
よく見られる傾向かと。

パーソナル障害に該当する人というか。
 
【パーソナリティ障害の概要】

 
私はこれがトラウマになっているようで
いきなり感情を露わにぶつける人間はゾッとするので
やられたらスーッとフェイドアウトし
関わらないようにします。 

 
私が幼稚園に入る前は
母はたまには家事をしていたんだけどね。

その後はパッタリしなくなり
死ぬまで40年近くずっとゴミ屋敷でした。 

 
母が死亡する前日夜に
長男弟が食べ物とお金を持って行ったらしく
あの時に異変に気がついていればと悔やんでいましたが。

私は長男弟にこう問いました。

「婆さんと同じ心不全でポックリ逝った。
真冬の寒さがたまたま続いた日に死んだから
腐敗も一切せずに眠っているような顔だった。 

こんなに幸せな死に方はないだろ?

これ以上生きていたところで
母も私達も憎しみが募るばかり。

私は死んでくれて嬉しいしかないよ。
やっと死んだ!と嬉し涙しか出ない。

あなたの奥さんもやっと死んだとホッとしてるでしょ?

泣きながら何度も私の所に来たのを
あなたは知らないでしょ?

冷たいと言われるだろうけど
金の無心と気が狂っているような言動と行動と宗教への勧誘と寄進しか頭にない母を10代から1日も早く死んでいなくなって欲しいとしか私は思わなかった。

あなたは母に本当に生きていて欲しかったと
心から思うのか?」

長男弟からは
「姉ちゃんには子どもの頃から迷惑しか掛けてないから
本当に申し訳ないと思っている。

婆さんと親父の時は全部姉ちゃんにやらせた。

親父の移植の話しを蹴ったことも姉ちゃんが全責任を負うと言って俺に知らせなかったことも申し訳ない。 

だから母ちゃんのことは
俺が全部やらないとならないと思っていた。」
 

「そんなことを聞いているのではない。」と言ったところで届かないのは分かるからそれ以上は話すのを止めました。

私達姉弟は罪悪感でしか繋がっていない。

罪悪感だけでしか関われない関係性は
異常でしかないしそこに未来なんてない。

異常な両親や親族を持った私達が
「普通」を望み生きることは「罪」に近かったように思います。

 
個人的には
映画のゴミ屋敷のグロさが甘い気がしましたが
映画じゃそんなものかな。

画面から臭いを想像してしまうくらいの
リアリティはそうそう作れないか。

そうそう、
綾戸智恵のホームレスの老婆役としての
演技の上手さに感心しました。

「どうか刑務所に3年入れて!
刑務所では人間らしく暮らせるのよ!」

刑務所に戻る為に万引きや放火をしようかと話す姿に検事役の長澤まさみは呆れていたが呆れて溜息がつけるくらい綺麗で優しい世界で生きて来ているのだろう。

それが悪いのでなく
この社会には様々な人間がいることを
検事という仕事柄から知ろうとしないのか?と疑問に思った。

法律が法律足らんこととして存在するのは人間がいるからで。

単に罰するだけなら
違反=殺した方がルール通りに動く人間が増えるかもね。

殺伐とした世界になるだろうけど。

今や、刑務所は介護施設の1つ。

3食が保証されお風呂に入れ
トイレも掃除されていて洗濯も出来て寝床も保証される。

それが「人間」としてどれだけ幸せなことか。

幼稚園から中学生まで「それ」を喉から手が出るほど欲しかった私には単なる自己責任やくだらないと思えない。

「それ」を手にする為に
生まれてから当たり前にある人間の何百倍も努力して手に入れた。

 
手にする為に
無理に無理を重ねて身体をかなり壊したが
そんなことはどうでもいいくらい
私は「普通」の暮らしを手にしたかった。 

 
でも、手に入れたからといって
それを死ぬまで維持出来るかその保証は
何1つ無い。

維持が出来る確率を上げる為に
私は死ぬまであらゆる工夫や努力をする。

工夫や努力が出来る間は全く問題ない。

問題なのは
「工夫と努力」が出来なくなった時だ。

だから私は
何重にも様々な形で「保険」を掛けてます。 

幸せに生きる為でなく
安心して死ぬ為に。

全ては死ぬ為に。

ちなみにこれに対しての簡単な答えは
「お金」一択になると思ってます。
 
施設に入るにしても何をするにも
介護にも死ぬにもお金一択でしょ。
 
 
昨日読んだ新聞の一面は
無縁遺骨6万柱でした。
 
お金があれば無縁遺骨にはならないよね。 

 
私にとって「家族」は助けにはならない。

助けてもらう気もないし
ダンナも娘も介護が出来るようなタイプでない。

介護に必要なのは極論に聞こえるでしょうが
感情を殺すか麻痺させなきゃ出来ない。

心身に異常を来たすことは避けられない。

お金とマンパワーが使えるなら別だけど。 

バカにしてる訳でなく
心が弱いダンナと娘が出来る訳がない。 

トリプル介護をした私は
あんなに辛く苦しい思いをさせる気は無いしね。

 
松山ケンイチ演じる斯波宗典が
介護士なのに42人を病死や老衰で亡くなったように見せかけて殺す理由が「救い」と言った時になるほどと思いました。

死という生からの解放は
間違いなく1つの救いですよね。

私は松山ケンイチみたいに
殺してくれる人がいるなら頼みたいですね。

介護殺人が8日で1人
無理心中を入れたらもっと増えるとのセリフに
「日本の殺人の6割は身内間だよ」と心で思った。 
 

トリプル介護中ダンナの介護をしていた時
このまま治療の方法が見つからず悪化し生活も行き詰まったらダンナを殺して娘も殺して私も自殺するしかないなと何十回も思った。
 
 
痛みでずっと苦しみ泣くダンナを見て
薬が効かなくなったら殺してあげるしかないかな。とか。

だから、寝ずに治療法がないか必死に探した。

先生とも話したが
所詮は他人事だから。

結局、私がずっとおかしいと思うことがあり
主治医をすっ飛ばして別の科である
血液内科で検査してもらったら出た時の
脱力感は嬉しさでなく虚しさでした。
 
1年も無駄にして苦しんだ時間が
バカバカしくなった。

誰かが助けてくれるのを待つのでなく
自分が考え動く方が早い。

例え失敗してもね。

殺すのもみんなで死ぬのも
全力を尽くし万策が尽きたらにしようと決めてました。

誰にも相談をしなかったのは
私以上に分かる人間が当時いなかったから。 

私には人間運が本当にないしね。
(家系や親を見れば分かるよね)

私は愚痴でなく
出来ることを探し考え実行することが何より重要。
 
愚痴なら死んでから吐けばいい。

私にとって
ダンナと娘を守るのが一番で
祖母や父は正直どうでもいいと割り切ってたしね。

 
家族の絆は呪縛になる。というセリフに
「家族」自体が呪いだよね。と思った。

「どうか幸せに」

一見美しいこの言葉が
「私は幸せにならないといけない」という
強烈なプレッシャーや呪いになる。
 
 
愛され大事にされたことすら
強烈な呪いになる。

私達は呪いと共に生きるしかない。
 
 
検事の長澤まさみが
「人は、見えるものと見えないものがあるんじゃなくて、見たいものと見たくないものがあるだけなのかもね」と言った時に
「本当にそうだね」と思いました。

 
そういえば、
長澤まさみが父親を助けず
孤独死という見殺しにした背景がなかったのが残念だったな。

松山ケンイチが
介護の為にアパートに引っ越し
1人で父親を介護しながら
少しずつ削れて壊れ大事な父親を殴る姿に
意思の疎通が取れなくなって行く人間と閉じ込められる
息苦しい閉塞感がよく分かる。 

介護の為に働けなくなり
生活保護受給申請に行ったら
「あなたは若いのだから働けるでしょ」と
一蹴された時の呆然とした顔に泣けた。
 
通帳の残高が数千円しか無くなっているのにね。

贅沢なんてしてない。

介護にしろ育児中にしろ
限界越えるくらい頑張ってるよ。 

何とか生きるギリギリの生活は
全て自分が悪いのか?

私も両親の生活保護受給申請に行った時に
「あなたかご両親のどちらかが死ぬまで面倒を見ることは法律で決まっています」と断られた。
 
心が折れたが
折れたショックで生活保護について調べまくり
理論武装して勝ち取った。

冷静にキレてやり取りをしないと
役所は通らないことが多いよね。

  
松山ケンイチが
父親から殺してくれと頼まれた時の
彼の葛藤が分かる気がした。

大事な人から頼まれたら
私なら殺すだろう。
 
ダンナから頼まれたら殺すよ。
 
 
だが、自分は頼みたくないね。

自分でやります。
 
 
こういう話しを書くと
どうも常に考えている可哀想な人と
勘違いをされますが。

書くと長くなるだけで
私が起きている間に上記を考えることは
ほとんど無いです。 
 
映画を観ている間ですら数分もない。

書けることのほとんどは解決しているか
決定事項で悩むこともほとんど無いです。
 
たまに修正が入るくらいです。

家族という連帯責任から逃れるには
家族を持たないか逃げるしかないというのが
私の現時点での最適解です。

この記事が
家族問題で悩まれている方の
一助になりましたら幸いです。

 
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