アプローチ
こんにちは。
先日、二人の芸術家のお話を伺う機会がありめちゃくちゃ刺激を受け思考の海を漂う遊びを楽しんでいます。
A氏30代
B氏60代後半
A氏「光を操る」
B氏「そこは私は違う感覚なんだ」
「光を操る」をきっかけに始まった二人の思想、矜持の語り合い。
クラシック音楽を軸に即興演奏もする私は、二人が両方とも自分の内にいるような納得感とわからなさを抱えてお話に聞き入っていた。
数日彷徨った結果、今は、どちらの在り方が心地いいかな?と感覚を探るようになった。
クラシックピアノを弾いていると時を操るような感覚になることがある。
でも、同時に、ふっとした瞬間に浮かび上がってくる音の景色、作曲家の意図にハッと震えて涙がこぼれそうになることもある。
即興演奏をしているときは作為は無く偶然が生み出す景色に導かれて音を紡ぐ。クラシックピアノの時は、まず作曲家の意図があってそれを感じる旅に出る感覚だから見ている世界がまるで違うのだけど、ちょっと似ている。
どっちのスタンスで音を紡いでも、結局は同じようなところにたどり着く。
だからどっちでもいい、心地よい在り方で真摯に向き合えばいいと感じる。
真摯でありさえすれば。
講師業をしていると、私はそう考えていても、周りの先生方の中にはあるべき姿ができないなら演奏する資格はないって断言する方もいらして…
プロを目指してるわけじゃないなら「弾きたい」って情熱を優先でいいじゃんってちょっとむくれるんだけど、場が荒れるのが嫌で黙っちゃう。
アプローチはどっちでもいいんだよな。
芸事も人の営みだから、幸せに感じられるように向き合えればそれでいいんじゃないかな。
演奏家としての自分の向き合い方について探っていたけど、生徒さんたちのことを思うようになってきた。
カタチやアプローチを云々するのもいいけど、人が生み出したもので、人が生み出すものだってことを大切にしよう。
二人の芸術家が提示した刺激はまだまだ私の中で蠢いているけど、今のところそんなところで着地としとこかな。
いろんな要素で変わるものだし、今はそう感じても明日はまた変わっているってこともあるだろう。
大切なことは何か、の核だけ見失わないでいたい。
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