松原里佳

ピアノでうたう、シンガー・ソングライターです。大阪在住。https://www.rik…

松原里佳

ピアノでうたう、シンガー・ソングライターです。大阪在住。https://www.rikamatsubara.com/

最近の記事

「君が居てうれしや この宇宙」後記  ~参加ミュージシャン編~

今回の記事は、このnoteでは何の前触れもなく、だけど、 松原里佳ニューアルバム「君が居てうれしや この宇宙」についての「後記」第1弾。 参加いただいた沢山の方々の中から、ミュージシャン編を。 意外な組み合わせ、初顔合わせ、意外な楽器、エピソードは満載で、お一人お一人との対話も時間をかけた分、聴いてくださる人にも伝えたいことや気持ちが溢れているけど、ジャケット等には難しく・・・ 長くなるけど、アルバムに興味を持ってくださった方が覗いてくれた嬉しい。 【アルバム参加アーティス

    • 眼鏡をかけているひとになる

      24歳のころに、デスクワークを続けていると目がぼやける症状で眼科に行くと、遠視である、と判明した。 それから19年! 既に字を読むにはメガネなしでは読めなかったけど、「これは、、常時メガネ を覚悟しなければいけないのでは…」と予感するようになり、気合いを入れてメガネやさんへ。 「よくこれで裸眼生活されていましたね」 と言われてびっくりしたけど、常時かけることにしてから1ヶ月を越えた今、本当に今まではどうしてたん…となっている。 掛けた当初の、 浮き上がる小口切りネギ、迫りくる

      • 隅っこに積もってたもの。

        仕事を辞めて一年が経った。 このタイミングで、たまたま出会った「まとまらない言葉を生きる」荒井 裕樹(柏書房)を読んでいて、現在の社会で蔓延している言葉というもののチカラ、危機感を改めて考えさせられたり、紹介されている障害者運動家の方々の言葉に感動したりしていたところだった。マイノリティな立場に置かれた人々の感情を他者として想像しながら読み進めていたのが、終盤、ふいに、自分の体験が思い出されて心がきゅっと固くなった。  前の環境で自分を削っていったもの、それは結局、「言葉」た

        • イカ焼きたるもの。

          「この夏一番の思い出はなんですか?」 息子の夏休みの日記最後のページは一番の思い出を残そう、となっていた。一番の思い出を絵日記にしなさい、とか私もあったなぁ。大体田舎へ行ったこととかちょこっと温泉行ったこととかだった。思い出がたくさん作れるはずのひとつのシーズンが終わりましたね、と自覚させられるこの質問。悲しいかな大人には夏休みもへったくれもない、という時期もあって、「…いや暑かったよね」くらいしか言えない年もあった。今年は仕事を辞めて、コロナでの縛りも緩くなって、少しは夏と

        「君が居てうれしや この宇宙」後記  ~参加ミュージシャン編~

          徒然

          畑は夏野菜の苗植えに移り、これまでのチョイ覗きペースではあかんのよと言い聞かせている今日この頃、もう梅雨入りだとは! フルタイムの仕事を辞めて8ヶ月が経とうとしているが、相変わらず、まだ8ヶ月かとすら思える毎日だった。捻挫はと言えば、勿論走るにも問題なく治ってはいるものの、動かしかたによってはまだ痛む。張り切り母ちゃんの思い出はこの先も深く刻まれることになりそうだ。 さて、夫の食堂を手伝いながら、心血注いでいるのは新しいアルバム作品制作である。 2020年に「東京タワー。

          調整中。

          脱オーエルをして、まる2ヶ月。 長かった。 元来、時間が過ぎるのを早く感じることがあまりない性質なのだが、生活が大きく変わってもそれは変わらないようだ。 一方で、曲がりなりにも生活をバランスさせていたブロックの大きなパーツを一つ外すと、隙間、歪みが生じてしまうもので、トントントンっと調整が必要になるものなのだ。多分。 その歪みの現れとしてまず起きたのが、人生初の捻挫。中々手強いレベルの。 息子のラグビースクールの親子対抗リレーに出て、だ。前の五年生を抜けると思ったのだった。1

          調整中。

          わたしのすてきな色

          4歳の娘が「お母さん見て、可愛いでしょ?」と満足気にプリキュアのぬり絵の1ページを見るようにと開いていた。 のぞくと、ページの真ん中の女の子(名前はよく知らない)を塗り終えたようだった。 「塗れたの?へー見せて、あ」 表紙の絵と出来るだけ同じような色で服や髪色を塗っていて、肌は色鉛筆で言うこげ茶色で塗られていた。 なるほど… すぐに「可愛いやーん!上手に塗れるようになったねー!」等々話したものの、自分が一瞬間を置いた事に、自分自身が引っ掛かった出来事だった。 少し前までは、

          わたしのすてきな色

          ヘルメ子ちゃんのうたについて

          今ではすっかり開いてさえいないブログで、2016年3月に「ヘルメ子ちゃんのうた」について。という日記を書いた。 あれから、また新しくヘルメ子ちゃんのうたをスキと言ってくださる方々に出会えて、改めて再掲してみようと思う。 (ライヴに毎回来てくださるYさんに、褒めていただいたことが頭の片隅にあるのもある。)そういえば、文章を書くのは好きなんだったな。また、書いてみようと思ったの記念、母が亡くなってこの秋で18年経つお盆に。 ~以下ブログより~ 私の母は、勉強しなさい とか、~

          ヘルメ子ちゃんのうたについて