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「戦後最大の人権侵害」の精神は、この社会に巣食い続けている

一昨日7月3日、最高裁は旧優生保護法が違憲であったとし、強制不妊を施された被害者に対する国の賠償責任を認めた*1。

旧優生保護法による強制不妊は「戦後最大の人権侵害」と言われる*2。この人権侵害の被害者に対する賠償責任が認められたことを、まずは喜ぼう。

しかし、この法律が当時のフェミニズムの隆盛によって誕生した、フェミニズムの申し子であったことを無視したままでいいのだろうか?

1946年、戦後初の衆議院選挙で、初めて女性の国会議員が誕生した*3。そのときに当選した議員の中に加藤シヅエ*4と福田昌子がいる。加藤シヅエと福田昌子は、太田典礼とともに優生保護法案を提出した。この法律は1948年に谷口弥三郎らによって再提出され、全会一致で可決された。

かくして戦後最大の人権侵害を齎すことになる旧優生保護法は、戦後間もない1948年に成立・施行された。これは戦前の国民優生法を継承するものであったが、国民優生法下では行われることのなかった、1万6250件もの強制不妊手術がこの法律の下で行われたのである*5。

しかし、障害者に対する強制不妊という人権侵害は問題となり、1996年、ようやく優生保護法から強制不妊を含む優生思想的な条項は削除され、法律名も「母体保護法」に改められた。しかし賠償問題は今日までこじれつづけ、ようやく解決の見通しがついてきたのである。

無論女性参政権自体は必要なものであるとはいえ、女性の国会議員が誕生したことによる最初で最大の成果が、これだったのだ。この法律を成立させた帳本人である加藤シヅエらが日本で最初の女性国会議員でありフェミニストであったことはただの偶然ではない。彼女らはマーガレット・サンガーの影響下において、フェミニズム思想の一つとして優生思想・産児制限思想を培ったのであった。

今でも、フェミニズム――というよりは、ミサンドリズムと言った方が適切かもしれない――の文脈において、障害者に対する排撃・排除が行われている現実を見る。先日も「女性がダウン症の男の子に追いかけられた」と主張する投稿がX上で行われ、その証言の不自然さは疑問を呼んだ。

障害者、外国人(それも、蔑視の対象であるような発展途上国の人)、マンガやアニメのオタク、「キモくて金のないおっさん」、そして男性全般――。女性の「キモい」という感情を最優先し、「キモい」というレッテルを貼られた存在を排除する――そういう風潮はこの社会に恐ろしいほど蔓延している。私たちはこういう差別思想を取り除き、障害の有無や出自や性別によって差別されることのない社会を築いていかなければならない。

フェミニズムについて検証するとき、その差別的な側面にメスを入れることは極めて重要なことであろう。

加藤シズエは勲一等瑞宝章をはじめとした数々の表彰を受け、フェミニズムの偉人として讃えられている。――今日まで問題がこじれ続けている、「戦後最大の人権侵害」の元凶が、である。「最初の女性議員」だからといって、神聖化してはいけない。英雄化してはいけない。それは我が国の戦後の歴史の、暗黒の部分なのだ。

*1 最高裁、強制不妊被害者を全面救済 国の一時金上回る賠償が確定(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
*2 「戦後最大の人権侵害」旧優生保護法に違憲判決、福岡訴訟原告「心強い判決で涙が出るほどうれしい」:地域ニュース : 読売新聞
*3 なお、このときに誕生した女性国会議員は39名で、2005年(43名)まで女性国会議員の数は1946年の記録を超えることがなかった(女性参政権 - Wikipedia)。
*4 トップ画像の人物。写真はFile:Shizue-Kato-1.png - Wikimedia Commonsを加工。
*5 優生保護法 - Wikipedia


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