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ちょうど一年前に「御無沙汰」を書き上げました。

はじめまして。里部あずみと申します。
落ち着かないこのご時世ではありますが、この度、私の処女作である「御無沙汰」が第7回せんだい短編戯曲賞の最終候補作品に選出されました。
感謝の思いと同時に驚きが大きいです。
本当にありがとうございます。

この「せんだい短編戯曲賞」は公益財団法人仙台市市民文化事業団と仙台市が主催する戯曲賞です。
せんだい演劇工房10-BOXのホームページには以下のように説明されています。

この戯曲賞は一過性の懸賞制度に留まらず、多くの演劇の基盤ともいえる高校演劇の大会などをはじめ、さまざまな機会に上演しやすいコンパクトで、しかも優れた戯曲が集まることを目指して設立しました。特徴として、「短編であること」「日本各地の制作者/プロデューサーが選考すること」「最終候補作の10作品程度がまとめられ冊子になること」の3つが挙げられます。この戯曲賞によって、優れた作品や劇作家が制作者/プロデューサーと出会い、さらに活字となって、多くの劇団や演出家と出会い、上演の機会を得るきっかけになることを目指しています。


2012年に設立されたこの「せんだい短編戯曲賞」、名だたる劇作家の方が受賞しているものです。高校演劇のコンクールで上演されたものを拝見した作品もあります。そのような作品が集まる賞の最終候補作品に「御無沙汰」が選ばれた衝撃が大きいです。

まだ作品を読まれてない方はホームページより是非ご覧ください。
大賞発表の10月末までの期間、他の最終候補作品のPDFも全て無料で公開されています。
https://www.gekito.jp/?pg=1595377214

突然ですが、少し私自身の話をさせてください。

横浜の地で演劇とは無縁の仕事をしている私ですが、生まれてから約20年間を杜の都・仙台で過ごしました。つい5ヶ月前までは仙台市民でした。

生後数年をアパートで過ごし、物心つかぬうちに一度目の引っ越しをしました。母方の祖母の家です。そこで幼稚園卒業まで暮らしました。
父母だけでなく祖母にも愛情を注がれて幼少期を過ごしました。
お盆とお正月に会う他県の祖父母とは違っていつでも会える身近なおばあちゃんでした。
小学校入学と同時に今の実家に引っ越しましたが、妹が生まれる時、習っていたスイミングの送迎、休日のお出かけなど様々な場面で祖母は一緒にいてくれました。

中学校に上がって少しすると異変が現れ始めました。
化粧品やアクセサリーなど祖母の周りの物が無くなる。
注文した覚えのない物が祖母の家に届く。
話のつじつまが合わなくなる。
今思うとあれが始まりだったのでしょう。

それから母、伯母と祖母は度々言い争いをするようになりました。
祖母は身の回りの異変、特に物の紛失について身近な伯母を疑うようになったのです。
祖母曰く「ずっと欲しいって言ってた」「私が部屋を出るとコソコソやってる」とのことでした。
もちろん母も伯母も誰も盗むはずがありません。

ある日祖母は私に電話をかけてきました。
また化粧品が無くなった、伯母が怪しいとのことでした。
私はその話を何度も聞いていましたが、真偽はわかりませんでした。
母や伯母を疑ってるわけではありません。
祖母が認知症ということを疑ってなかったのです。

やがて母と伯母は、祖母を病院に連れて行くことを決めました。
しかし祖母は行きたがりません。
祖母から見たらおかしいところなんてないのです。
むしろ祖母からしてみればみんなグルになって自分を貶めているようにしか思えないのです。

高校に進学してから度々祖母の家に通いました。
祖母は変わってしまったかもしれませんが、私にとっては大好きなおばあちゃんです。
家に行くと沢山のお茶菓子とわんこそばのように注がれるお茶でもてなしてくれます。
そのお茶菓子を手に取って裏を見ると賞味期限は3ヶ月ほど切れていましたが。

同じ話を繰り返す祖母。
私は何度も聞きました。
同じ質問を繰り返す祖母。
私は何度も答えました。
私の話には何回も新鮮な反応をしました。

やがて短期大学に進学した私は実習の関係で合計4週間祖母の家で過ごしました。
今回の「御無沙汰」はこの4週間の生活がベースとなっています。
そこで感じたこと、それは症状に波があることです。
最近の出来事をなんとなく覚えていることもあれば、話していることが支離滅裂で何の話題かもわからないこともあります。
それでもおしゃべり好きな祖母はどんな話もすごく楽しそうに嬉しそうに話してくれました。
それを見てこちらも嬉しくなると同時にどこか寂しさを感じていました。

私にとってかけがえのない存在である祖母ですが、今の祖母は私を孫として認識しているかわかりません。
祖母は感染症が流行していることを知りません。
元号が令和になったことも恐らく知りません。
一昨日自身の誕生日であったことも気づいてないでしょう。
まだしばらくは祖母に会えませんが、いつまでも元気でいてほしいなと心から願っています。

ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
演劇界が今後どうなっていくか不透明な状況ではありますが自分なりに何かを表現していけたらと思います。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

里部あずみ

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