りおて

26歳、無職、半引きこもり。それでも文章を書くのは好きです。

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  • 心に残したい記事

    時々そっと蓋を開けて、心に留め置きたくなるような記事たち。

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あの日の私とあの景色。

こんばんは、りおてです。 画像は、光と大気の描写の詩情的技術力から「絵画の魔術」と称えられたフランスの画家、クロード・ジョセフ・ヴェルネの《ヴェスヴィオ山の見えるナポリの眺め》です。ルーブル美術館で撮影しました。本記事とは一切関係ありません。 ーーー 昨日の夜、ふと思い立って、kiroroのアルバムをiTunesで購入した。ピコンと音が鳴って、ダウンロードされていく曲たち。どのタイトルも、懐かしい顔ぶれだ。 ・・・ 中学校へ上がった時、校則の厳しい全寮制の学校で、私

    • ねこの鳴く声で起きたら大体15時

      こんばんは、りおてです。 画像は、17Cフランスを代表する画家、ニコラ・プッサンの《聖母の結婚》です。ルーヴル美術館で撮影しました。本記事とは一切関係ありません。 ーーー 新しい家に引っ越して、新しい恋人と出会って、新しい家族として猫を2匹迎えても、私の毎日は相も変わらず浪費されてゆく。 少しでも身になることをしようと、校正の勉強を始めたけれど、返ってくる添削の辛辣な言葉に小一時間も涙が止まらなくなったり。 趣味と実益で始めたアクセサリー作りも、散々投資した挙句、対

      • 最近躁鬱の鬱の時期で、全然文章が書けなくてもどかしい。目が上滑りする。しょぼぼ。

        • 公務員試験に落ちた話

          こんばんは、りおてです。 画像は、アルテミジア・ジェンティレスキ《ホロフェルネスの首を斬るユディト》です。ウフィツィで撮影しました。本記事とは一切関係ありません。 ーーー 今日、公務員試験の結果発表があって、無事、落ちていた。 筆記試験と一次口述試験を終えて、二次に進めるかどうかというタイミングでの脱落だった。 正直まだ、落ちたことが自分にどう作用するかわからない。今はただ漠然と、落ちた事実を受け止めている。 私は試験勉強を、1月でやめてしまった。 それは彼に振

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          8本

        記事

          最近はめっきり忙しくしていて、その上数年ぶりに読書なんかができちゃっているので、インプットにいっぱいいっぱいでアウトプットが間に合わない。 素敵な服を買ったので、明日あたり、そのことを記事にしようかな。

          最近はめっきり忙しくしていて、その上数年ぶりに読書なんかができちゃっているので、インプットにいっぱいいっぱいでアウトプットが間に合わない。 素敵な服を買ったので、明日あたり、そのことを記事にしようかな。

          君の人生に食い込みたい。

          おはようございます、りおてです。 画像は、フランチェスコ・アイエツ《スザンナの沐浴》です。ナショナルギャラリー所蔵。私はこの絵を見たとき意味もわからず滂沱の涙を流し、10分以上絵の前で立ち尽くしました。そんな迫力のある絵でした。本記事とは一切関係ありません。 ーーー 君の人生に食い込みたい。 君の人生に食い込みたかった。 君が体調を崩していると知った時の私みたいに、君が新しいゲームを始めたと知った時の私みたいに、君が恋人とどこかに行って何かをしたと知ったときの私みた

          君の人生に食い込みたい。

          めぐ、めげる。めいだ、めげた。時々、めがす。【#方言note】

          こんばんは、りおてです。 画像は、かの有名な《サモトラケのニケ》です。ルーブル美術館で撮影しました。本記事とは一切関係ありません。 ーーー 「あ〜っ、せこっ。せこいわぁ」 グラウンドの代わりに、学校の敷地内にある池の周りを走った後、私はついぽろっと言うてしまう。周りのぎょっとした視線がこっちを向く。 「何言ゆうが?何がせこいがよ?」 私はあっ、と気づく。 「いやいや、これは阿波弁で“息が苦しい”って意味ながちや。別にケチとかそう言う意味やないき」 慌てて土佐弁

          めぐ、めげる。めいだ、めげた。時々、めがす。【#方言note】

          本田透になりたかった私が、球磨川禊になろうとする話。

          こんにちは、りおてです。 画像は、敬愛するレオ様作、《荒野の聖ヒエロニムス》です。バチカンで撮影しました。本記事とは一切関係ありません。 本記事は、先日以下のつぶやきで触れたことについて書き起こしたものです。 現実とフィクションの境界が認識できていない類の言説、並びに、しみったれた恋愛の話が主となりますので、読まれる際はご注意ください。 ーーー 今でも毎日思い出す。 あの女を迎えに行く君を送り出したあの日のバス停、直前にしたキスの感触、君の服の匂い、いつか帰ってく

          本田透になりたかった私が、球磨川禊になろうとする話。

          『めだかボックス』を読んだ。 2度目の読了だけど、26歳の、しかも今、再び読みたくなったことに「劇的」を感じる。 人と人とは相応しい時に出会えないけど、本と人との出会いはいつだって相応しい。 本田透に憧れた私が球磨川禊になるまでの話を、いつか書きたいな。

          『めだかボックス』を読んだ。 2度目の読了だけど、26歳の、しかも今、再び読みたくなったことに「劇的」を感じる。 人と人とは相応しい時に出会えないけど、本と人との出会いはいつだって相応しい。 本田透に憧れた私が球磨川禊になるまでの話を、いつか書きたいな。

          『#磨け感情解像度』に応募して

          こんばんは、りおてです。 画像は、私の敬愛するレオ様の影響を受けた、イタリア人画家ベルナルディーノ・ルイーニの《斬首された洗礼者聖ジョヴァンニの首》です。ウフィツィで撮影しました。本記事とは一切関係ありません。 ーーー 「リストカットは感染る」 実際にリストカットをしたことがある人、あるいは興味を持って調べたことがある人なら、どこかで目にしたことがあるかもしれない。 「リストカットは感染る」。その意味は、リストカットの画像や実際の傷痕を目にすると、目にした人もリスト

          『#磨け感情解像度』に応募して

          水平線の向こうの新天地【#磨け感情解像度】

          こんにちは、りおてです。 画像は、イタリアはソレントからみたヴェスヴィオ山です。波止場から撮影しました。本記事とは一切関係ありません。 本記事は、私設賞『#磨け感情解像度』に寄せる文章です。素晴らしい企画をありがとうございます。 ーーー “lost in translation(ロスト イン トランスレーション)”という言葉がある。 トランスレーション、即ち翻訳の過程で、その言葉が持つ本来の意味が失われることを指す。異文化を自文化にまるごと正しく移し替えることは不可

          水平線の向こうの新天地【#磨け感情解像度】

          「言葉のデッサン力」

          こんばんは、りおてです。 画像は、レオナルド・ダ・ヴィンチの《花の研究》です。2016年に江戸東京博物館で開催された「特別展 レオナルド・ダ・ヴィンチ ー天才の挑戦」で購入した絵葉書をスキャンしたものです。実物は撮影禁止でした。本記事とは素描繋がりです。 ーーー 「現代作家を腐すわけじゃないけれど、やっぱり昔の文豪と呼ばれる人たちは、描写の力が半端じゃないよね。言葉のデッサン力っていうのかな。それがすごくある」 昨日の深夜、友人が言った言葉だ。 彼の使った《言葉のデ

          「言葉のデッサン力」

          それを「ゆたか」と表現したあなたへ。

          こんばんは、りおてです。 画像は、ロレンツォ・ディ・クレディの《聖母子と聖ジョバンニーノ、2人の天使》です。ウフィツィで撮影しました。本記事とは一切関係ありません。 企画へのすべりこみに失敗しましたので、供養のためにここに置いておきます。 ーーー 本当は、この企画に応募するつもりはなかった。私はまだnoteを初めて間もないし、箸にも棒にもかからない文章しか書けないだろうと思った。広く誰かに見られる文章を書ける自信が、まだなかった。でも、今日とある方の文章を目にして、や

          それを「ゆたか」と表現したあなたへ。

          泣き出した女と虚無感。

          こんばんは、りおてです。 画像は、《ピエタ》のレプリカです。バチカン美術館で撮影しました。接写しまくりました。本記事とは一切関係ありません。 ーーー 普通の日。 普通に家族と夕食を食べて、明日の予定なんかを話して、恋人と電話して、何事もない普通の日。そんな日に、ふ、と死んでしまったら、みんな、どう思うんだろうか。こんな死にたがりの私でも、ドラマみたいに「自殺する人が先の予定なんて」とか言われちゃったりなんかするんだろうか。 ・・・ 暗い部屋。1人きりには広すぎるベ

          泣き出した女と虚無感。

          『桜』

           深爪した親指で音楽プレイヤーのボリュームを最大まで上げながら、信号のない横断歩道の黒い部分を踏む。  人影はまばらで、辺りは静けさ保っているが、草臥れたサラリーマンや、買い物帰りの主婦、家路を急ぐ子どもたちの息遣いが、足取りが、私には雑踏の中にいるかのように騒がしく感じられた。まるで夢でもみているみたいに、足取りは軽やかで、地に着いていない。声高に鳴き続けるプレイヤーは、すれ違う人にすら届きそうな程の音量で、彼が好んだ歌を吐き出す。イヤホンの向こう側から聞こえる幻聴のような

          アフターコロナを夢想して。

          こんばんは、りおてです。 画像は、初期ルネサンス・フェラーラ派の画家、エルコレ・デ・ロベルティの《聖セバスティアヌス》です。ウフィツィで撮影しました。本記事とは疫病繋がりです。 ーーー 新型コロナウイルスが流行り始めてから早数ヶ月。道ゆく人のマスク姿にもすっかり慣れ、この疫病は、徐々に日常の中に取り込まれ始めているように思う。 こんなことを言うと不快に思う人がいるかもしれないけれど、私は正直なところ、一度もこのウイルスに恐怖を感じていない。 元々そういうことに鈍い性

          アフターコロナを夢想して。