認めたくないことを他人事にして済ませる単なる自己愛者は成長も成熟もしない。「自己批判」とは皆無な在り方には実力が無い。自己批判からの逃避としての「信仰」や信仰心のアピールは信仰の悪用でしか無い。特定の誰かや何かへの依存や崇拝なども同様。