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「鬼滅の刃」に触れて感じたこと

【鬼滅の刃に触れた週末】
  
  
うちに目立った鬼滅ファンがいないので
「鬼滅の刃」という言葉くらいは聞いたことがある、くらいの認識。
  
  
それが、この1週間は
至るところに
鬼滅の刃のポスターやイラストがあることに気づき始めた。
  
  
「知識がないこと」「重要ではないこと」は
見えなくなるのが人
  
まさしくだなぁと思った次第。
  
  
  
で、
なんでポスターやイラストの存在に気づき始めて、
鬼滅の刃の話題までこうしてあげるくらいになったのか?
  
  
朝の情報番組を娘が観ている時だったかなぁ、鬼滅の刃のストーリーの魅力みたいなことが流れていて、
  
「鬼がもともとは人間だったことや
今はそうなってしまった鬼たちの
感動ストーリーが『背景』にある」
  
みたいな(うる覚え)内容だったんですが
通りすがりの私に
  
そのメッセージが
グッと心を掴み、
その場に固まって魅入ったのが始まり。
  
  
「それぞれ各々の気持ちに触れる」
このメッセージに
私のアンテナがあるという現れだなぁと
改めて考えていた。
  
    
その翌日からは、
映画公開の宣伝だと知り
そしたら
どこかしこに鬼滅の刃のポスターやイラストがあったことに気づき
そしたら
鬼滅の刃に夢中なお子さんのお母さんとセッションで話題になったり  と
  
私の「重要度」の中にランクインしていた
  
ということ。
  
  
  
「そこにある」
でも、盲点になっていることは
とてつもなく多い。
  
目の前の子どもの姿も
  
「この子のもともとある資質」を知ることや
「重要だと気づくきっかけ」に触れることで
  
いつもなんでこうなの!?と感じでいたことの盲点がなくなり
「すでにそこにあったんだ」と見えてくるから、まったく違う一面ばかりが目に入りだす。
  
  
  
それと
まさにマーケティングだと思ったこと、
  
  
この二つを
鬼滅の刃に触れたことで
私が改めて感じたこと。
  
ここで重要なのは
私の場合は「鬼滅の刃」から、その二つが見えた、
でも、別の人には違うように見える
ということ。
  
  
人はそれぞれ、それぞれの見方をする
だから人っておもしろい、ということだ。
  
  
あっ!あと一つあった!
人は自分の中の「かけら」や「要素」に
プラスにもマイナスにも反応する(気になる)ということ。

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