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トラスト
「もう誰も信用出来ない。」
人は疑って生きている。
信じたら裏切られるから。
信じたら騙されるから。
信用というのは得難いものである。
企業と顧客、企業と企業、あるいは、銀行と利用者など、信用を前提に動く社会もある。
しかし、こと個人と個人の関係における信用というのは貴重なものだ。
出会ったばかりの人間を信用するのは危険だし、お互いを知っていく内にこいつは信用に値しないと思う人間も少なくないだろう。
自分はどれだけの人に信用してもらえているだろうか。
信用は得難いものだ。しかし失うことは容易い。企業だろうが個人だろうが、小さなミスで大きな信用を刹那に失う。
社員の不祥事、脱税、また個人においては過剰な恋愛感情の暴走や積もり積もった嘘の発覚かど、例に尽きない。
「手を出してこないと信用したから部屋に入れたのに襲われた」
信用は裏切りに繋がる。そして、信用が深ければ深いほど裏切られれば不快になる。
だから、人は疑いから入る。人生において裏切られたことがないという人は連絡をくれ。どうやったらそんなふうに生きられるのか小一時間詰問してさしあげよう。
そんなわけで私も同じように疑いから入る。もしかしたら、疑いを持たずナオトインティライミばりの平和脳で動く人間もいるのかもしれないが、私は見たことがないし信じられない。
全てを信用している人がいるといわれても私は信用しないだろう。
「もう誰も信じられない。」
そう思った時、人は成長したと言えるのだろうか、むしろ退化したのだろうか。
少なくとも私は毎日退化している。
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