今の囲碁界と囲碁普及コンテンツの問題点
ものすごくごつい題名ですが、囲碁知らない人も知っている人も少し見ていってください。
囲碁普及関係者は別。とにかく読んで欲しい。
まず、これを書いてる当人の話。自分は大学から囲碁を始めた人間で、レベルは10級くらい。おそらく初心者に毛が生えた程度のレベル。
そんな人間が思う、現在の囲碁の状況と囲碁普及コンテンツの問題点をつらつら書いていく。
1. 囲碁がやばい
のっけからこれである。とはいえ、実際やばい。何がやばいのかというと、
人がいない
のである。
実際、囲碁のプレイヤー人口というのは減ってきており、最新のレジャー白書によると、現在の囲碁人口は230万人。
現在日本棋院が把握している数値だとは350万人である。(これは15歳未満と80歳以上を加味している)
どのくらい減っているかというと、レジャー白書の数値で、
1982年1130万人→2004年450万人→2006年360万人→2015年250万人→2020年230万人
となっている。近年減少率が下がったとはいえ、下がり続けていることに変わりない。
ちなみに、よく引き合いに出される将棋はというと、
1985年1680万人→2005年840万人→2013年670万人→2020年620万人
である。こちらも減っていることには変わりないが、絶対数が2倍強違う。
そもそも、囲碁に対する世間一般のイメージって何だろうか。
・え?囲碁?なにそれ年寄りがやるゲームじゃないの?(悲嘆の涙)
・知ってる!挟むとひっくり返せるんでしょ?(それはオセロ。悲劇だけに?)
・ヒカルの碁を見てた!でもルールとかよくわかんない(歓喜の涙)
おおかたこのあたりだろう。
正直、囲碁を打っている人間から見るとがっくりしてしまうような認識だ。
しかし、これは「しょうがない」のだ。
なぜなら普及が命の囲碁にも関わらず、普及を怠ってきたから。
今、身の回りには、囲碁以上に、直感的に面白いと思うコンテンツなど有り余っている。
ソシャゲしかり、ゲームのライブ配信しかり、例を挙げればキリがない。
正直、自分も囲碁を打つのとFGOの周回なら周回を選ぶ。(塵がない!)
囲碁というコンテンツはハイエンドコンテンツだ。
じっくりと時間をかけて面白さが分かる。
高いレベルになっても飽きがこない。
そんな囲碁が、今の直感的に面白さが分かるコンテンツと向き合っても、勝てるわけがない。
そんな囲碁に対してこんな疑問を持つ人も出てくるはず。
「ちょっと待って。ぶっちゃけさ、囲碁やる人が減っても誰も困らないと思うのだけど。だって、無くなったって誰も気にしないじゃん」
それが実は困るのである。それについて次項で述べる。
2. 囲碁がなくなると困る?
囲碁がなくなると困ると書いた。ちと語弊がある。
正確には、「今、囲碁をやっている人にとって囲碁がなくなると困る」のである。
どういうことか。それは、「プロ制度の崩壊」を意味するからである。
今、囲碁の対局でご飯を食べている人、いわゆる囲碁のプロ棋士が340人いる。
それがゼロになる。
分かりやすくプロ野球で例えよう。(野球ファンの方申し訳ございません)
プロ野球選手が一切いなくなる。
当然、ニュースの最後の方で流れる野球の試合結果もやらない。
スポーツ新聞で選手の活躍を報じることもない。
もちろん、プロ野球選手になりたいと思う子供も出てこない。
これが囲碁界で起こる。
「野球はさ、みんな見るからいーじゃん。囲碁なんて誰も見ないからいいんじゃない?」
「消えたってわかりゃしないよ」
確かに、消えてしまっても大勢の人にとっては困らない。
しかし、囲碁に人生をかけてきた人はどうなるのか。基本的に、囲碁のプロは早くて中学生遅くても高校生でなる。つまり、中卒もしくは高卒だ。
しかもやってきたことといえば、囲碁だけ。プロでなくなった後の人生が大変なことくらい、ヘボ碁打ちの自分にだって分かる。
プロ制度の崩壊は、己の人生を賭けて囲碁をやってきた人たちの人生を「あなたの人生無駄でした!残念!」と言い放つようなものだ。
少し脱線するが、故あって、自分は元院と呼ばれる人たちを間近で見る機会が多い。
元院というのは、プロ養成機関である日本棋院の院生でなくなった人のこと。
つまり、プロになるべく血反吐を吐く思いで努力し、それでもなお夢破れてしまった人たちだ。
彼らの打つ碁を見るたび、囲碁に対する彼らの努力の爪痕を感じずにはいられない。
もちろん、碁の内容のことは少ししか分からない。しかし、碁を打つ一挙手一投足からでもその努力の爪痕を感じることができる。それほどまでに、恐ろしい修練を積んだ人達だ。
そんな努力をした人たちを乗り越える程の努力をしてプロになった人に、「あなたの人生無駄でした!残念!」と言えるのか。少なくとも自分には言えない。
話を戻そう。
そして、プロ制度が崩壊すると、プロになりたいという子供も出てこない。当たり前である。
影響は囲碁界だけではない。例を挙げると、新聞にも影響がでるだろう。
新聞を読んだことのある人なら分かるが、囲碁・将棋の欄が新聞にはある。
その囲碁・将棋の欄が見たいためにその新聞を契約している人もいる。その人たちはプロ制度の崩壊の崩壊と共に、契約を取り消すだろう。(新聞を読む人がそもそも減っている気がするが、それは置いておく)
しまいには、囲碁自体が社会から抹消される。
「社会から抹消されるって言い過ぎじゃない?歴史あるんだし、文化として残ると思う」
確かに歴史はある。しかし、文化として残す土壌が今の囲碁にはないのだ。
例えば、歌舞伎や茶道には、家制度や家元がある。つまり、文化を承継する人材がいるのだ。
これが囲碁にはない。かつてはあったが、今はないのだ。
(例えば本因坊家などがかつての家元である)
そうなると、「プロ制度の崩壊=囲碁の断絶」ということになってしまう。
だからこそ、囲碁人口の減少は死活問題、すなわち囲碁界にとって生きるか死ぬかの問題になるのである。(ちなみに「死活問題」という言葉は囲碁から来ている)
そこまで人口減少の影響が大きいなら、普及に力を入れなくてはいけないと誰もが思うだろう。
しかし、その普及のコンテンツはあまりにも多くの問題を抱えている。
もちろん、普及を頑張っている人もいる。
だが、悲しいかな、大元の日本棋院のコンテンツが、控えめに言って問題ありまくりである。
それについて次項で書く。
3. 普及用のコンテンツの問題
まず、普及用のコンテンツの問題と言っても、あまりにも広いので今回は日本棋院のライブ配信にフォーカスした問題点を2つに絞る。
⑴囲碁そのものの分かりにくさ
⑵囲碁配信の不親切さ
である。
⑴囲碁そのものの分かりにくさ
何が分かりにくいのか分からないという方が多いと思う。
つまるところ
「囲碁は何やっているのか分からない!」
ということだ。
そうは言っても、これだけでは意味が分からない。
と、その前に囲碁が陣地取りゲームだという前提だけは頭に入れておいて欲しい。
それを踏まえてこの画像をどうぞ。
これは囲碁を打ち終わった後の図。ここで問題。この図を3秒見つめ、そして目を閉じてください。さて黒と白がどっちが勝ってるか?
ちくたくちくたく。
分かるか馬鹿野郎!
と言った方。実に正しい反応。これを3秒見つめて黒と白どっちが勝ってるか分かった方は、囲碁をやっている人間。(もしやってなくて分かった方がいらっしゃいましたら、是非コメント欄でコメントしてください)
でも、こうしたらどうだろうか。
何となく、白の方が陣地多そうだなと分かるはず。
ちなみに、盤面上は白126目、黒32目と白の圧倒的な勝ち。(目はポイントのようなものです)
明らかに2枚目の方が分かりやすい。
では、ライブ配信でこんな風に陣地を色分けしているのか?
していないのである。
???
言葉は悪いが、あえて言う。馬鹿なんじゃないか?
なぜ色分けしない?
陣地の見方が分からない人が大多数なのになぜ色分けしない?
何だったら、目数も常時見せておくべきでは?
このような具合に。(くそダサで申し訳ない)
これを対局中リアルタイムで変化させるだけでも大きく見やすさが違う。
少なくとも「何やっているか分からないゲーム」から「陣地取りゲーム」に変わることは確かである。
「目算が楽しいのにその楽しさを奪うな!」(目算とは、何も色分けがない状態で、自分の陣地を数えること)
そんな声が過激派から聞こえてくる。
勘弁してくれ。囲碁やり過ぎて脳みそに碁石でも詰まっているのか。
初心者さんや初見さんが目算できると本気で思っているのか?
一般の人にとっては、囲碁は何をやってるのか分からないゲームなのに、分かる工夫をしないのはどういう了見なのか。はっきり言って意味が分からない。
分かりやすさということについては、まだ問題点がある。
それは、日本棋院のライブ配信が
①評価値の表示(形勢判断)
②プロ棋士の解説(盤面の言語化)
だけに留まっているという点だ
少し対比をしてみよう。お隣の将棋はどうしているか。AbemaTVの将棋配信を例に挙げる。
①評価値の表示(形勢判断)
②読み筋の表示(最善手の表示・対局者の思考の疑似的なトレース)
③プロの解説(盤面の言語化)
ここでも差がついている。
しかも、将棋は初心者さんや初見さんでもある程度は形勢を把握できるのだ。
例えば、駒の損得や玉に駒が接近しているかで形勢がわかることなどが挙げられる。
(将棋の形勢判断がそこまで単純でないことは承知しています。初心者さんや初見さんが見た場合の形勢判断を想定しております)
つまり、将棋は囲碁と比較して、初心者さんや初見さんにとって分かりやすいコンテンツであると言えよう。
それにも関わらず、ここまでの可視化をしているのだ。
なら、囲碁がそれ以上の可視化をしないでどうする。
個人的な具体案を言うなら、
①評価値の表示(形勢判断)
②読み筋の表示(最善手の表示・対局者の思考の疑似的なトレース)
③陣地の色分け(陣地の視覚化)
④目数の表示(陣地の点数の視覚化)
⑤プロの解説(盤面の言語化)
これくらいはしてほしい。
こんなことをしたら、囲碁を見る意味がない?
分かりにくいコンテンツの上に胡坐をかいてふんぞり返っている現状よりかはマシだと思う。
とにかく、初心者さんや初見さんに分かりやすいコンテンツ作りを主眼に置くべきではないか。
⑵囲碁配信の不親切さ
先程、日本棋院のライブ配信にはプロ棋士の解説があると書いた。
しかし、その解説も決して適切とは言えない。
なんてったって、初心者さんや初見さんを想定すらしていない解説だからである。
試しに、日本棋院のYouTubeチャンネルに行って、名人戦だの、碁聖戦だののライブ配信を見て欲しい。
<名人戦>
https://www.youtube.com/watch?v=sBle346Hp0I&list=PLPFsQpz_GTn5L_c-tdnnx5eZdQZlEG0Hv
(解説シーンは7時間30分近辺)
<碁聖戦>
https://www.youtube.com/watch?v=6-q1awOP5MI&list=PLPFsQpz_GTn71AhCWfdzwvr_5hK_HwMNj
(解説シーンは8時間30分近辺)
いかがだっただろうか?
・囲碁用語がポンポン飛び交う(大ゲイマ?ハネ?ツケ?何それ?)
・隅の攻め合いの詳細な検討を行う(いや、そこ検討されても意味が分からない)
・高段者のハイレベルな質問を拾う。(もっと意味が分からない)
などなど。囲碁の知識がないまま、この配信を見ても分かるわけがない。
何のためにこの配信やってるの?普及のためじゃないの?
初心者さんや初見さんを置いてけぼりにするのが普及?
馬鹿にするのも大概にしてほしい。
百歩譲って、普段のリーグ戦で高段者向けの解説配信をするならまだ分かる。
普段のリーグ戦を見る程の囲碁ファンなら、そこそこ囲碁が分かっているはずだし、そういった層に向けての解説なら、理にかなっている。
しかし、タイトル戦で高段者向けの解説配信をする意味とは?
普段のリーグ戦よりも多くの人が見るであろうタイトル戦で、高段者に向けての解説をすることが普及につながると?
全くゲームが違うが、Rainbow Six Siege(5 VS 5の対戦型FPSゲーム)の例を挙げたい。Japan Championship 2020という日本一を決める大会のライブ配信では、玄人向けと素人向けで二つの配信を用意していた。
<玄人向け>
https://www.youtube.com/watch?v=18UTXHl5vHM
<素人向け>
https://www.youtube.com/watch?v=0949dpJT5_Q&t=22573s
このスタイルは本当に良いと思う。
個人的な具体案としては、このスタイルを囲碁の配信にもそっくりそのまま取り込むべきだ。
今やライブ配信は高段者とプロ棋士のサロン会場と化している。
「普及?いや、自分たちだけで楽しんでるから初心者さんや初見さんは入ってこないで」というスタンスだ。
こんなことをしていて、囲碁人口が減っている今の状況はまずいとか言っている?
とんだお笑い種だ。
まず自分たちの普及に対する態度から見直してこい、と言いたくなる。
4. 終わりに
これだけ囲碁界や囲碁の普及について毒を吐いたのだから、さぞかしこいつは囲碁が嫌いなのだろうと思われたかもしれない。
しかし、自分は囲碁が大好きだ。布石でのプランニング、中盤での石のぶつかり合い、終盤の精緻な計算が求められるヨセ、などなど囲碁の魅力を挙げたら、キリがない。
しかも、その魅力にはまだまだ先があるはずだ。レベルが上がることでまだ見えてない世界が見えるかと思うと胸が躍る。
だが、その囲碁を支える日本の囲碁界が崩壊してしまっては意味がない。
だからこそ、変わって欲しい。普及用のコンテンツに力を入れて欲しい。
良さを伝えられるのは、人だけではない。コンテンツにもその力はある。
ヘボ碁打ちの願いが届くことを祈っている。
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