薄毛のアン


彼の名は、アン、35歳。普段、少し派手なキャップに身を潜めている彼の大草原は、出会った頃に比べると、熱心な草むしり職人のせいで着々と更地に近づいている。

現在アンは、同い年で、お笑い養成所の同期、気づけば10年以上の付き合いになるトラと、不定期でネットラジオ「帰ってきた!!ピーピャラララバカンス!!」(以下ピャラバカ)というものをやっている。

この「ピャラバカ」、昔は名も姿も違い、様々な町の人々に親しまれ、愛されていたラジオであったが、名と姿を変えてからは、頭のおかしい人でないと聴けないラジオであると役場が判断した為、聴いている事がバレた者は、顔にタトゥーを入れ、友人と会う時にはドタキャンをしなければならないという、自然と人々から疎外されてしまう環境に追い込まれる掟が出来た。

しかし、幸い、聴いてる者は皆頭がおかしい為、アンとトラの踏み絵を躊躇なく踏むそうで、今のところピャラバカのリスナーは0という統計が各町でとられており、ピャラバカは消滅したと判断した町も多かった。

ちなみに、ピャラバカの前身番組を聴いていた者の多くは、踏み絵を前にするとその場でジャンプし、一回転したのちにヒップドロップをして踏み絵を踏む傾向にある為、任天堂と呼ばれていた。

そんな事はつゆ知らず、アンとトラはバカみたいな顔で、相も変わらず不定期でピャラバカの収録をしていた。


丁度半年前のピャラバカ収録の日、
アンはトラに初めて金を借りた。

勿論、薄毛に使うような贅沢な金ではなく生きる為の金だ。
トラはアンに金を貸す事に躊躇はなかった。
アンを信じていた。
アンはクズだった。
でもアンを信じていた。
アンはクソ野郎でもあった。
でもアンを信じていた。
アンはクズでクソ野郎だけど、トラを裏切った事は一度もないからだ。

そして半年経ったピャラバカ収録の日、アンはついに完済した。
しかしアンは、その数時間後の帰り道で、
「金やべぇなぁ」とつぶやいた。

トラが「今日返して大丈夫だった?」と尋ねるとアンは「返せる時に返しておかないと」と言った。

「返せる時に返しておかないと」

この言葉を発する者でお金にちゃんとしている人を見た事がないトラは、
「また貸そうか?」
そう発しようとした口に咄嗟に足元の砂利を詰めた。
でもアンを信じている。


そんなアンは、大抵ピャラバカ収録日には、己の現状を嘆き、ことある事に自己嫌悪に陥り、音を上げる。
トラは、それを聞く。励まし(ここではハゲを増させる事ではなく元気づける意)もするし意見も言うが、自分の事のように一緒に悩んだりはしない。
アンが思い詰めるラインを知ってるからだ。
アンは下がりきらない。いつもどこかで必ず回避して自分の心を守る術を身に付けている。毛は守れないのに大したもんだ。

先日、そんなアンに、トラは初めてと言っていいほど自分の今溜まっているものを一気に吐き出した。マーライオンなんてもんじゃない、ゲロを直線で顔に吐き出すがごとく。

「初めて」と言ったが、アンとトラは会えば勿論、電話でもしょっちゅう近況は話しているし悩みも話している。
ただ、トラはきまってヘビー級な事をバンタム級にして話す。

もしもトラをよく知らない町の人々が見たらとても滑稽な光景であろう。
なぜならトラは、心身を自由にコントロール出来ない呪いをかけられている。
ゆえに、相場ではトラがアンに嘆き、音を上げる側なのだ。
しかし、トラを良く知る人はその呪いを知ったうえでもこう言う。
陰と陽で言えばアンとトラ
薄と濃で言えばアンとトラ
トラは陽気なショートボブ
アンは薄毛のインディアンなのだ。

ちなみに人々は皆、生まれながらに呪いをかけられて生を受けている。
アンは、いくら良い行いをしても、どれだけ徳を積んでも徐々に薄毛になっていくという呪いだ。
これを鑑みるとアンがクズでクソ野郎なのも仕方がないのかもしれない。

でも実はトラは、前側から薄毛になっていく前向きなアンの呪いが羨ましい。
加えて、細川たかしが好きなので、アンにはいつか、薄皮さとしとしてデビューして欲しいと密かに願っているのだ。
もはや本家と一文字しかかぶっていない(ここではカツラではなく重複する事の意)ので、自分の曲で売れるしかないが、トラはアンならそれが出来ると彼の多才さに期待している。

とにもかくにも、そんな今までであったから、トラがこれ程までアンに嘆き、負をぶつけるのは初めてだった。勿論泣いてはない。
トラは、アンの前では泣かない。
アンのなんともいえない困った顔が想像できるし、生まれてこのかた、自分より毛の少ない奴に弱みを見せるのが嫌いであり、涙たらすなら尿たらせ、愚痴をもらすならうんこをもらせと言い聞かせて人生を歩んできたからだ。

だから、「疲れた」「キツイ」「つらい」「大変」は言わないと決めている。
しかし、
「自分で言っちゃだめなんだけどさ、、」
と情けない言い訳枕詞を使って言う事もある。負けず嫌いでカッコつけなのだ。

その点アンはすごい。この嘆きの四天王を清々しい程に使い、太宰のような絶望感に入り込む事が出来るのだ。
これはある種才能だとトラは思っている。
俺はもうだめだ、からの逆転劇を何回も起こしてくれる。
この展開は、子供人気爆発間違いなしの戦隊モノでいけるが、薄毛のヒーローというのは賭博が過ぎる為、MXのAM2時枠がギリとれるかどうかといったところであろう。

でもトラはふと思った。
もしも仮にゴールデンタイムの枠をとれて大ヒットしたら、売れないバンドのメジャーデビューのような気持ちになるのではないか。。
砂かぶり席で見ていたアンの太宰が遠くにいってしまう。。
そんな想像をしたトラは、もしもアンの太宰が海を渡ったとしても、リハビリ中の足にムチ打って湿布してサポーターをしてどこまでも走ろうと心に決めた。

さて、話は戻り、
実は、今までもトラは時々、思い切り弱音を吐いて感情の赴くままに話してみようと話し始める事もあったが、そういう時には大抵、アンがリングインしてきて、
「俺も色々あるよ」「俺も結構きついぞ」
と言い始める。

そうか、まぁ、そうだよな。
トラはいつもの体勢に戻す。

しかし、トラのターンに入り、話があまりにもヘビーな時にはアンは決まって、
「俺、こんなんで辛いとかキツイとか言ってたらだめだな、あんたすごいよ、幸せになれるよ」と言うのだ。

アンとトラはこれをもう何年もやっている。
もはやお家芸だ。

でもトラはそれでいい。
また吐き出せなかった、という残尿感がありつつも、アンにそれを言われては毎回何だか親に褒められているような気持ちになる。
そして、アンの嘘を見抜く事ならAIにも勝る自負があるトラは、アンのそれが本心だという事がわかる。
だから単純なトラは、四天王を嘆かない代わりに、四天王を嘆くアンよりも素敵なご褒美をアンにもらっては毎回ホカホカするのだ。
結局アンとトラはWin-Winなのだ。

ただ、今回はお家芸封印だ。
アンが理解出来るもんでもないし、アンに言っても仕方ない、アンに聞いてもらったところで解決する事でもない。
だのにその日だけは、シンガポールとは程遠い日本の東京の東の端っこで吐くマートラは止まらなかった。
伝わらない内容は出来るだけ省いたものの、イキり過ぎた大学生の三次会よりも吐き続けた。

アンとトラはいつも同じリズムで収録日を迎え、終わる。
いつもアンは早く帰りたがり、トラは余韻を好む。


だが正直この日だけは、トラは早く帰りたかった。
薄毛になり得るくらい心身ともに疲れていたからだ。
しかし、片やアンは珍しくせわしない帰り支度をしなかった。

なんだ?薄毛のクセに。

トラは最初は少しけむたい気持ちになったが、ほんならチラッと、と思って話し始めたら堰を切ったようにトラはマーになってしまった。

そんなトラに、アンは強く言った。
「周りの事ばかり考えてたらいつの間にかババアになるぞ!」

その言葉はトラのスカルプを激しく刺激した。

トラは小さな頃からOLにはなりたくないと公言してきた。
OLさんをバカにしていた訳じゃない、自分には合わないと思っていたからだ。
ヒールを履くくらいなら裸足がいいし、財布を抱えてランチに行くよりリュックで両手あいた状態で解き放たれていたいのだ。
内容もだ。
同じ事、同じリズムが出来ない。
飽きてしまうし、毎日のスリル、違う景色を欲してしまう。
だから、嫌味なんて一ミリもなく、それが出来る会社員の人々はすごいとトラは思うのだ。
ただ、自分はそういう仕事は仕事、アフターで何か趣味を、楽しみを、というより、生きる事を十把ひとからげにして力いっぱい楽しみたいのだ。

そんなトラは、同時に色々な事が起きてて、それを全部どうにかしたくて必死で、知らぬ間に自己犠牲をはたらき、いや知らなくない、気づいていたが、これが私の人生だと自分を雑にしていた。
でもいつも最終的に決めているのは自分だから自己犠牲じゃないと言い聞かせた。

でもアンに言われて、トラは、
自分は危うくこのままババアになるところだったのかもしれない、と急に怖くなった。
アンが毛を、失礼、手を差し伸べてくれたおかげで何だかスポッと何か抜けたような気がした。心なしかアンの毛も少し抜けたような気もした。


アンのおかげでトラはエネルギーが湧いてきた。
現実問題、すぐに実現出来るものではない。
それがわかるから、耐えるしかないのだけれど、このままババアになるのだけはごめんだ。
トラは、いつか、いや出来るだけ早く、もう一度大草原で走ろうと思った。
大草原とはなんなのかトラもわからない。
トラは昔から3年周期で夢が変わるため、自分でも予測不能な人生を歩み続けているのだ。
トラはトラを知らない。
ゆえに、トラは今自分が何者なのか肩書きもないまま、ただ必死で生きて大切なものに大切を届けているのだ。
トラは芸人である。と言っているが、ついに活動している時間を活動していない時間が追い抜いてしまった。
活動がどこまでかが活動かと言われたらわからないが、胸を張って今も芸人やってるよ!活動してるよ!とは情けないけど言えない。

よって、大草原がどこなのか現段階では決められていない。

でもアンはそんなトラにこう言った。

「次が決まってなきゃだめなのかよ」

アンは何故だかキレ気味スタンスだった。
それはトラ側に立ち、言葉を発してくれたからだ。
トラは驚いた。
「大変だなぁ」とは言ってくれても、
怒ってくれたのは初めてだったからだ。
今思えば、「怒ってくれた」と言っている時点でトラは嬉しかったのだと思う。
正直、アンのキレに、
その人は悪くねえよ薄毛!と思う事もあったが、トラはこのアンの言葉達で普段のホカホカに加えて、希望ってやつが、もしかしたらってやつが、どこかに必ずあるような、一筋の光が見えたように感じた。

恐らくアンの頭ではない。彼はキャップを被っていた。
でもトラにとっては、なんの光かなんてどうでも良かった。
淀んだ世界に確かに光が見えた。


アンはいつもトラよりも経験値が多い話し方をする。
「俺もまぁそんな時はあったわな」
「俺はその時期は越えた」

だまれ薄毛!

同い年だし、確かにアンの方が物知りだ。
だが、毛はトラの方があるし、トラも一筋縄ではいかぬ35年であった為、よほど達観した人や、波瀾万丈な人生を歩んでいない限り、同い年でそこまでリードされる事なんて知れている。
ちなみに、私が「波乱万丈」ではなく「波瀾万丈」と使ったのは、難しい漢字がカッコいいと思った訳で、も変換で最初に出たからでもなく、昔、波瀾万丈という番組があって、毎週楽しみに祖父母と観ていたからだ。
福留さんの言葉からVTRに入る前の音楽は、時代劇のようなミ、シ、ラ、と不協なシャープを使ったもので、人生とは順当にいかないと幼心に感じられるものだった。


話が逸れたけれど、アンの経験値多い感は今でも、なんだこいつ!
と思うところもあるが、トラはアンの言葉のひとつひとつが嬉しかったし、なんなら録音しておきたかった。

次の日は、またどうする事も出来ない現実世界に引き戻されたけれど、トラはこの日から、昨日見た光を忘れぬように、きっと少し先にあるのだと希望を抱きながら、そして手放さないように、毎日向かってくるものを倒し、クリアし、こなし、かわし、戦いながら日々を過ごすようになった。


皆さんお気づきだろうか。
この話、アンの話かと思えば途中からトラの話が主体になっている。
トラは脱線のプロだからだ。
アンはナチュラル脱毛のプロだ。
だから内容も薄くなっていくのは自然な事である。


トラはアンのいいところを聞かれてもパッとは出ない。
ただ、わるいところを聞かれても、ハゲとしか言えない。


、、いや、クズか。

いや、自己愛男でもある。
だらしないな。しょーもない嘘つくよな。
あ、すぐこれは簡単だろと言うくせに、いざやると全然出来ないな。

あれ?いっぱいわるいとこあった。


しかしきっとアンもまた、トラのわるいところをいくつも言える。
そういう2人だ。

アンのいいところを、トラは実はいくつも知っているが、あの薄毛にそれを知られたらなんだか腹立つのでトラは言わない事にしている。
例えばこの短編小説「薄毛のアン」も、
トラがアンに話したとして、
「へぇそんなん書いたのか」とか白々しい顔して見てませんみたいにすぐするんだけど、絶対見てるタイプだからね。
あ、わるいとこ!
いや、これは別にわるいとこではないか。

まぁでも不思議なもので、わるいところも、わるかないんだね。
つまりはアンのいいところの方がトラにとっては多いのだ。
なんとも言えないこの関係性にトラは何度も救われているし幸せだ。
だってこんなに暴言を吐ける人など中々居ないのだから。
どんなヘビーな話をしたって引かずに能面のような顔して励まし(ハゲ増し)てくれる人も居ないのだから。

だからトラはアンを大切にしようと心がけている。
実際出来ているかはわからないが。

でも何だかそれで良さそうだ。
付かず離れず無駄に馴れ合わないこの心地よさが、気を遣って遣わないこの気楽さが、トラにとって唯一無二の存在なのである。

トラは、前身番組が終わったあと、アンと頑張ろうねとなった。
だが、アンはフラフラしているし、相変わらずスケジュールも不明なまま。
やる気がないアンに何だか自分がバカらしくなったトラ。

そしてその気持ちに追い討ちをかけるようにトラは家業と色々なものに追い込まれていた。

ここだけの話、トラは一度だけ、前身番組では勿論、誰の前でも一度も発する事がなかった、
「やめようかなと思ってる」
を発動した。


アンは即答で止めた。



あれ?やる気あったんかいコイツ!!

アンは、
とりあえずゆっくりでいいからやろうと言った。

トラは必要とされると嬉しくなって断れないというブレブレのタイプである為、二つ返事でわかったと言った。

ここからは逆転の連続だ。
いつもは次いつにする?とスケジュールを決めたがるトラだったが、そこからはアンが発信するようになった。
トラは何だか気楽になった。

モチベーションがアンの方が高いからなのかもしれない。

アンは今がんばっている。
この表現をアンは嫌うかもしれないが、間違いなく頑張っている。
そして輝いている。(ここでは頭ではなく姿を表す)
卑屈なところは変わらないけれど、慣れない事にもチャレンジして、自分を鼓舞している。
今までで一番前のめりなんじゃないかな。


トラはというと、
そんなアンの姿を尊敬すると共に、くれた言葉を胸に抱き、自分も大草原に必ず飛び出すと改めて心に決めた。


養成所時代、春が来て卒業し、春が来て入ったんだ、アンとトラは夢見た場所へ。

しかし、卒業したばかりだというのにアンは1年もたたないうちに卒業してしまった。

トラは卒業しなかった。

そして今、不登校で卒業も退学もしていない。
中途半端が嫌いなトラだけれど、グレーも悪くないと言い聞かせ、ここって時にケジメをつけたいと思っている。

新しく入学したアンと、進路の決まらないトラ。
2人の関係は、お互いずっと不安定で楽で、自由で読めなくて強がりで負けず嫌い、頑固で天邪鬼で優しくて不器用で温かい。
でも楽しい。

2人で居たって何も乗り越えられる気はしないけど、なんか笑ってんだよね。

この先なんてわからないけれど、なんかやってんだと思う。やってなくても電話してんだと思う。またやろっかなんて話してんだと思うよね。

トラは結構ストレートな方だと思うんだけれど、アンにだけはカーブとフォークしか投げれない。なんならチェンジアップとかやっちゃう。
昔フォークの練習したけど結局全然出来なかったの思い出した。
おっと脱線脱毛注意!

ストレートにぶつけられるんだけどストレートに伝えられないんだな。

眠くなってきたから寝ようかな。
アンはもう寝てるかな。
そして朝になったら2、3本抜けてるかな。

ピャラバカ、みんなメール送っても町役場の人たちには聴いてる事バレないようにね。
みんな頭おかしくてサンキュ。
踏み絵はちぎれるまで踏んでくれていいからさ、いつかどこかで密会しようね。

アンとトラは今月もどこかでノムさんのようにぼやく予定です。
そういえば張本勲さんが今年いっぱいで喝を卒業するんだって。
寂しいから喝したい決断だけどあっぱれだよね。
トラはまだ卒業やめとくって。
アンは多分何か結果残すと思う。
トラも何かやると思う。
アンとトラは今後もつづくと思う。

結局、アンとトラって変だよな。

でもさ、わるかないよな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?