「時間をください」

昨日の夜はかっこいいライブハウスに行きまして、気持ち良さげにドラムを叩くアメリカのおじちゃんにノックアウトされました。
おはようございます、rhino(ライノ)と申します。

noteスタートして3日目。そろそろ妊活にまつわるお話をしましょうか。
とはいえ、何がきっかけで妊活をすることになったか。その話はまた別の機会でしたいと思います。

今日は、初めて夫婦2人で産婦人科に出向きそれぞれ検査をすることにした時の話。

我々はあることをきっかけに妊活をすることを決め、数ヶ月してもなかなか進展がなかったため、不妊治療している産婦人科に一緒に行きたいんだよね。と、わたしから直接話をしてみた。
以前から、年齢も年齢だしお互いに検査をしてみたほうがいいのかもねという話は、旦那ちゃんからの提案でもあったので、あっさりと承諾された。

予約するのは私が行うことになり、病院に電話をして色々確認。

○月○日 朝9時から12時ぐらい、諸々含めると半日コースだと分かり、旦那ちゃんにメールで相談することに。

初診なんだけど、○月○日9時から12時までみたい。その半日、時間をくださいな。

その時、私が送ったメールだ。
そして送った瞬間、私の中にザラッとした感情が込み上がるのが分かった。
いったい、何が起きたんだろう。
何がそうさせるのか、しばらく分からないのだが、どうしてもこのザラッとしたものが喉の奥に詰まっている。

少し深呼吸をしながらも、私が書いた一文がどうしても目が離せないのだ。

時間をくださいな。

分かった。
子どもをつくり、うみ、育てる行為は、どちらかではなく私たちふたりのことだ。にもかかわらず、それにかかわる取り組みのために対して、あなたの時間を私にくださいと、そんな風に私自身の指がその文章を紡ぎ出してることに、私は衝撃的だったわけだ。

普段の私は、旦那ちゃんに対してそんなスタンスでかかわることはまずない。
完全に私だけの野暮用で付き合ってもらう時でも、
一緒に行ってよ。えー、一緒に行こーよー。え、行くよね?!はい、行きますよ(断言)。と言う人間だ。
(そんな偉そうに言うことでもないかもだがw)

にもかかわらず、今回に限って、時間を私にください。とは。。。
頭では夫婦2人のことであると分かっているはずなのに、わたしの胸のどこかに、根強いなにかが存在してるんだと。
しかも、結構この根強いなにかは、あまりにも無自覚に無意識的に私自身の動きに大きな影響を与えている。このザラっとしたものをため込み続け、昇華することをしない日々が続いたら、これは結構やっかいじゃないか。
本能的にすごく危機感を感じた。

で、旦那さんにすぐ追加で送信。

なんだか、おかしな文章だね。

旦那ちゃんにはこの追加のメッセージの意味が分からなかったらしい。(そりゃ、この文章じゃ意味は分からないはず)ただ、嫁のなかで何ががあったんだろうとは思ったらしいが、分からないからこそ余計なことは避けるべしと、返事は「分かった。調整するね」と実にシンプルだった。

この出来事について、その日の夜に直接打ち明けたかというと、実はそうではない。なぜかこの気づきを私は旦那ちゃんに言うことにちょっとためらいを感じた。
そんな簡単じゃないんだ。この私の根強いものは。
じゃあ、この根強いものとちょっと一緒に過ごしてみよう。そんな風に思った。

結局話したのは、診察が終わった日の帰り道。
で、旦那ちゃんの反応は、

なるほどね。あのメールからは分からなかったわ。でも、それ興味深いね。きっとそれ、記録に残した方がいいよ。

この反応に対して感じたのは、

1.わかんないよね(再確認)ちゃんと口にしないと伝わらないね。
2.「それ興味深い」って、あっけらかんと受け止めてくれるんだ。
3.記録に残す方がいいという斬新な提案をしてくる人だった!

言ってよかったなと、思ったのでした。

それぞれ仕事ばかりではありながらも、仲の良い私たち。9年の結婚生活の中で色々なことを話してきたつもりであったけど、「今回の妊活」というプロセスは、単に子どもをつくるということではなく、私たち夫婦の関係性を見直したり、新たに再構築する機会なんだということに気づきました。

当然、旦那ちゃん側にもいろんな思いや気づきがあるはず。私には分からない、気づけないこともたくさん。

今回の妊活の機会を通じて、それぞれがどんな気持ちや感じ方をしているのか、きちんと表に出していく素晴らしい機会を得ることができたんだと受け止め、子どもができてもできなくても、そんな未来があろうと、今回の機会はふたりにとってもとても豊かなことを与えてくれているんだと噛みしめながら、ふたりで取り組んでいきたいと思ったのでした。

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