シナーム・アリームの鳩の嘴

 単純に考えてみるべきだよ、と、シナーム=アリームはいつでも言った。
 白い鳩の頭をしたかれの言葉は、町のだれもが熱心に聞くのであった。
 ある秋にやってきた手品師には、その話し方は催眠術に似ていると言われた。けれども町のものたちは手品師のことを頭に入れず、鳩のアリームの声を聞く。
 モモリスはいけない子どもだと自分のことを思っていた。昼も夜も嘴を耳に入れられることばかり考えていた。モモリスは雀の頭をしていて、この町のどの氏族にも属さない。頭がいいと思われていたのでいろいろな教育を受け、モモリス自体、奇術の技もつものが旗を帽子から小出しにするようにして飽きさせず期待に応えていたのだが、最近ではつくろうのも限界に近い。
 あの小さな嘴! 鋭い嘴! 開放的で親しげな嘴!
 それが自分の耳に入ってきて耳垢をほじくり出すとしたら全くどんなものだろう。
 そんなこんな想像は、町のものたちが時々交わす声、何十年にもわたって子どもたちの間では一番盛んに語られていた、求愛の歌の話、いずれ自分たちが当事者となると予知されているそんな話なんかとは違って、だれにも話してはいけないと思う、一番の秘密のことだった。
 雀が秘密を持つなんて、みんなきっと驚くだろう。
 鴉頭や梟頭ならそんなこともあると捉えられよう。しかし小さなはしっこい雀の頭である。
 それは小さな豆を撃って山を崩そうとするくらいに意外で、ありそうもないこととして位置づけられるであろう、と、モモリスは考える。
 かといって想像するばかりで日を過ごして煩悶を一身に抱えるにも退屈する日々である。町には小川が流れており、子供らは夏には水浴びに行く。より厳密には子供らの三分の二ほどである。残り三分の一はどうかというと、水浴びには行かない。モモリスはこれまで行かない側の子どもであった。だがこの想像が盛んになってしまったある夏、意を決して行くことにしたのだった。
 そしてモモリスが川に出むくと、
 珍しいね、
 とアブジャが言った。この近所住まいの子どもは、川っぺりに腰をおろして足を遊ばせ、くつろいでいた。
 今日はヘ……がいないんだよ。
 とアブジャは続けた。モモリスは解釈した。ヘ……の中身がよく聞き取れなかったがきっとそれは重要なことではないと、前置きしてから、解釈した。
 ヘ……は普段川に来ている子どもだろう。自分が来たのとは逆に、普段出むいている子どもがその日はいないのだ。世の中は帳尻が合っている。
 モモリスが胸に息を吸い、準備して鳴いてみると、それは妙に気張って聞こえ、しかしそのことに恥ずかしくなる必要がなかったことには、そのときアブジャは水を手ですくって頭にかけていた。
 なんと小さいんだろう、と、モモリスは首を振る。アブジャの肩や背中である。薄くのばした小麦粉のような色をしている。皮っぽい。その上に乗っている頭は水を浴びてもにおいそうだった。腐ったにおい、花のにおい? そんな開花したにおいではない。未熟なにおい。唾とともに吐かれる消化酵素のにおい。そんな嘴はごめんだった。
 そう一気に考えて、自分の胸中に憤りめいた激しさが育っているのを捉え、
 ばか、
 と、モモリスはそっぽをむく。
 嘴。
 モモリスは自分の嘴に関心がない。
 というのだから、アブジャが嘴に関心がなくともおかしくない。
 どうしてアブジャの嘴なんかを嘴として捉えてしまったのだろう。やれやれだ。
 モモリスはそう考える間、なるべく、鳩のアリームという固有名詞については思い浮かべないように努めていた。努めているという思いは思い浮かべているがその尾羽だけを考え、中身に首を突っこまないようにするのだ。
 モモリスにとっての嘴は、想像するだけのものだ。
 それは他の子どもたちが誰ひとりとして口に出さない想像で、もしかしたら他のものもそういうことを考えているのかもしれなかったが、だとしてもモモリスは共有することを避けるだろう。もし共有する羽目になったらどうなるのか。そのときモモリスはそのような日について考えてはいなかった。
 モモリス君、と、やわらかい声がした。
 それはシナーム=アリームのだ。
 モモリスは直接見ないようにして、そう、川の表にシナーム=アリームの頭の上だけが映り、ひらひら風になびいているところを見た。
 桃の果実がモモリスの横に転がってきた。
 モモリスは、顔の向きを変えないようにして、果実をとった。それから、
 ありがとうございます、
 と言った。
 是非食べてくれたまえ、
 とシナーム=アリームが言い、モモリスはもちろんそのほうを見ず、その尖った嘴の先から漏れた呼気をすぐそばに感じたように思っているということを思った。彼我の距離は冷静に測り、自分に寄せられる風圧の強さをなんとなく計算してのことである。思っていることを思った後、うんやはり来た圧力はモモリスの身における通常の圧力感度を下回っているだろう、と思考した。
 そうしているモモリスの後ろでは、アブジャがシナーム=アリームを呼び、シナーム=アリームの上体はふいに川面上での上の方へとずれた。モモリスは目を覆ったが遅かった。
 シナーム=アリームは嘴を失っていた。
 では声も変わるはずではないのか、と、とたんにモモリスは思った。

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