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人生の決断ー最大の断捨離ーバリ島へ

2010年12月、帰る家は無くなった片道切符で、主人と2人スーツケースを2つずつ、バリ島行きの飛行機に乗った。

20年間勤めたモデルマネージメント業は短期で常に新しいモデルたちとの出会いがあり、昔から夢だったファッションショーも裏側まで見ることができ、英語は日常語となり、これまでの経験をすべて詰め込むことができる仕事だった。辞めようと思うたびに、何かに引かれるように天職なのかと思いとどまることとなった。

もちろん大変な事を書き出したらキリがない。モデルと言えど10代のティーンエイジャーが初めて海外で一人暮らしをするための責任ものしかかってくる。

身分証明書無しでアルコールもタバコも手に入り、体の20%くらいしか被わない格好で夜中まで遊んでも危険を感じることのない東京はモデル達にとって天国。食事代を浮かせるためにモデルがタダで入れるクラブに行き、食べ放題・飲み放題。オーナーからのクレーム、警察沙汰も少なくはなかった。

その季節と真反対のファッションの撮影。暑い夏の冬服、寒い冬の夏服や水着と結構過酷。ロケともなると朝5時、6時集合など普通で、モデルに仕事の詳細を伝えるときは万が一を考えて集合時間を早めに伝える。モデル達の次の日の仕事内容は毎日家に持ち帰り、朝無事に仕事に入ることを願うのだけど、電話がなると胃が縮む思いがしていた。なんせ、モデル各自用携帯なんてなかったから、道に迷ったら確実に遅刻。そのお陰で普通のタクシー運転手よりも道に詳しくなったものだ。

それでも帰国の日を迎えるときには、メッセージやプレゼントを持ってきてくれて I love you so muchと涙ながらに帰っていく子達を見ると仕事に感謝していた。

そんな20年目、主人の一言で日本脱出を決めた。
Let's chase the blue sky and blue ocean. あおい空とあおい海の元に行こう。
実は長いこと不妊治療をしていたのだが、ありがちに、諦められずにいたこともあり、だったら日本に留まる理由はないと、その3ヶ月後にはバリに向かったのです。

彼の友達がバリ島にいたこともあり、何か一緒にやろうと話し始めていたところでもあったのだけど、私はと言うと、ええええ、辞めていいの?そんな選択があったなんて考えもしなかった。

そんな一大事、決めたら早かった。辞めると決めたら、心残りは一切なかった。一番辛かったのは飼っていた犬を連れて行けなかったこと。枯れるほど泣いた。

持ち家はちょうどそのとき改装し、床暖を入れて快適な冬を迎えるはずだった。ほっこりとした冬もバタバタと過ごし、泊まりがけで片付けに来てくれた友達が雑魚寝をするには最高の床暖となった。

一人スーツケース2個分。冬服やキッチン道具などはいくつか船便で送る手配をし、8年間住んだ家の、溜まりに溜まった家財道具、洋服、靴etc etcはほぼすべて売って、寄付して、捨てた。泊まりがけて手伝いに来てくれた友達が気持ちいいほど処理してくれて人生最大の断捨離となった。

空っぽになった家は声がエコーするほどになり、改装を終えたばかりのこだわった壁紙、最高の床暖、主人が作ったバルコニー、何度もたくさんの友達が集まり食事をした広いキッチンも静かに私たちの旅立ちを見送ってくれた。

決断は早く、見直さず、どんどん先に進むこと。

ビーサンとビキニの生活が快適に始まった。


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