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赤ちゃんと国際線に乗る

ああ、出張のときにとなりに赤ちゃんがいたら、舌打ちをしたかもしれない。聞こえないように、だけれど。だからこそ、自分も緊張した。うちの赤ん坊(をそろそろ卒業する、1歳ちょうどの子ども)も、ずっと静かだったわけではない。

国内線には乗ってみたけれど、赤ん坊はずっと眠っていたので、国際線での旅についてもある程度寝ていてくれるだろうと楽観視していた。しかし、そうではなかった。どちらかというとずっと起きていた。

私は前日まで腰痛になっていたけれど、前日、前々日と、荷造り作業(これが結構腰に来る)以外は、横になって重力に逆らわないで養生していた。それはもう、飛行機の中で「ママジャナキャ」を発動したときのためである。夫が基本的にはいつも赤ん坊といっしょにいてくれるし、頼れる人なのだが、今回ばかりは私ががんばらねばと思っていた。なにしろ、夫、初海外。初ロングフライト。

一週間前からできる限り早寝早起き(最終的に朝5時台に朝ご飯を食べていた)前日は早く休み、朝4時におきて赤ん坊にご飯をたべさせ、空港へは、成田エクスプレスに乗って行った。実家から母を呼んだのは、荷物が多かったことと、できるかぎり私と夫が体力を温存できるようにするためであった。

スーツケースは23kg制限にまあまあ引っかかりかけてるのを4つ。白米やフォローアップミルクの缶なども入れた。洋服も遠慮せず結構いっぱい入れた。ついでに赤ん坊の掛け布団や、お気に入りのタオルケット、毛布も一枚ずつ持った。あと、サトウのごはん、アマノフーズのフリーズドライ味噌汁、包丁とか、菜箸、簡易離乳食、100均で買ったプラスチックのかごなども。

ベビーカーは手荷物検査場を抜けて、出国審査、ゲートまで持って行くことができた。でも結局抱っこひもでだっこされていた。実は、空港到着時に長蛇の列ができていて、かつ子連れのためにオンラインチェックインができなかったので、かなりギリギリであった。それでも早い者勝ちのバシネットを使えたのは、ほかに赤ん坊がいなかったからに他ならない。

ゲートについてベビーカーを渡すと、なんと優先搭乗で、一番乗りで飛行機に乗れた。わーお。バシネットを使える席は、エコノミーの一番前で足下の広い座席なので、手荷物は前の席の下に置くというオプションはない。離陸して安定飛行に入るまでは、必要最低限のものだけしか手元に持っておけない。それでも耳抜きのための水とか、安心用のぬいぐるみとかを手元に置いた。

一番乗りだったこともあって、だいぶ離陸まで待ったけれど、途中で泣き始めたのにはあわてた。結局私が抱っこひもを装着してだっこすることで落ち着いた。離陸して、上昇中に機嫌が悪くなってひやっとしたのもつかの間、眠りに落ちてしまった。

かなり安定飛行まで待たされた印象があったけれど、子連れで緊張していたからだろうか。いつももこのくらいは掛かる気がする。そしてたいてい眠りこけている(西向きの移動が多いので、徹夜して行って飛行機に乗って時差調整することが多いからというのもある。今回は逆で東向き、早寝早起きのあとの搭乗)。

安定飛行になって、バシネットを持ってきてもらって乗せたけど、赤ん坊はそこで寝ることはなかった。バシネットのなかでお座りして水を飲んだりはしていた。バシネットが邪魔で、エンターテイメントシステムは使えなかった。夫はダウンロードしたゲームで遊んでいた。WiFiは有料なら使えたらしいが、別にお金を払ってまでネットにつながりたいとも思わなかった。バシネットは本来の「ゆりかご」的な用途では使えなかったけど、それでも赤ん坊のものを入れたり、押さえながらだけどそこでちょっと遊ばせたりできた。

あと、役に立ったのは、足下に敷いたピクニック用の敷物。うちの子ははいはい期なので、ずっとだっこされているとだめなのだ、だから、下に下ろして支えて立っちさせてあげたりして気を紛らわせたりしていた。

幸いにして、隣の席が1席は空席だったので、そこまで窮屈にならずに過ごすことができた。また、後ろの席には自衛隊の人々が制服を着て(窮屈そうだ)きちっと座っていらっしゃったので、これまた気が楽だった。制服を着ているということは、彼らは彼らの組織の代表としてそこにいるのだ。つまり、公人としてふるまうことを期待されている。いきなり絡んでくるおっさんが周りにいないと思えることは、赤ん坊がたとえ騒いでなくても、気楽である。さらに、廊下をはさんだ向こう側には、やさしそうなご婦人がいて、目が合うと終始にこにこしてくださり、降りるときには「あなたたちの赤ちゃんのあやし方はすばらしかったわ!」と言ってくださった。私もこういう人になりたい。親が少し気楽でいるということは、子供にとって悪いことはない。窮屈にしすぎるのはおそらく逆に良くなかったろうと思うのだ。ずっと黙ってるなんて無理なのだから。

幸いにして、そんなに泣きわめいているというわけでもなく、つめたい離乳食もそれなりに食べてくれた。シートベルト着用サインがかなり長いことついていて、ときにオムツ替えにシートベルト着用サインの点灯中に行くなんてこともしたけれど、なんとか無事にアメリカにたどり着けた。

入国審査は、ESTAではなくVISA持ちの人はこちら、という方に行くと、あっさり審査がはじまった。D-2019の書類を見せる。たいしたことは聞かれず、入国審査官もやさしそうな人だった。

乗り継ぎのダラスFW空港では、「あれ?チケットが1枚足りない(赤ん坊の分がない)」とあわてて、カウンターに立ち寄ったけれど、国内線では座席のない赤ん坊の分のチケットを発券してないとのこと(アメリカン航空)。パスポートチェック(IDチェック)もなかった。このあたりから「アメリカ生活」が始まった感じがした。なにかというと、「なんでも分からないことは聞くべし」のルール。

朝5時過ぎには家を出て、ほとんど眠れずに時差15時間の昼の目的地まで着いたけれど、ホストの先生が出迎えにきてくれていたし、先生の車に無理くり4つのスーツケースを詰め込んで(結構無茶をした)ホテルまで送ってもらえたので、いつもの出張よりそこまで大変という感じはなかった(私は)。なにせいつもロングフライトのあと、自力でホテルまで行かねばならない、電車に乗り継がなければならないなんてことが普通だから、空港に着きさえすればなんとかしてもらえるなんて最高だ。

心配していた初海外の夫も、最悪の想定よりはずっとよくて、いろいろ杞憂に終わった。赤ん坊は困惑気味だったけれどなんとか無事にたどり着いたのであった。

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