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「虹色の朝が来るまで」

友人がお手伝いをしていて,監督とも知り合いになって,クラウドファンディングにも出資して注目していたのに,完成した頃には子育てとか自分のことで手一杯で観にいけてなかったのがこの作品。それが商業ベースの劇場で上映になるということで「今度こそ」と思ってたら,初回が平日の夜の上映で,子育て中の人にはちょっと無理だわ,と諦めたり……。ろう演劇しかり,行きにくいタイミングでイベントが入りがち。「初回の入りによっては1回で終わるかも」とか不吉なことを聞き,2回目の上映は日曜夜だったので,夫にお願いして行かせてもらった。

会場に着いたら,そこはすでに手話の世界。新宿という立地の利があるとはいえ,夜8時半開演の映画に,手話話者がたくさん。「いるところにはいるんだねえ」と思う。1回目の上映で主だった(顔が売れている?)ろう者がたくさん来ていたという話だったから,2回目は観客が少ないかも,と聞いていたので,想像と違ってびっくりというか,今井監督の集客力,あるいはろう者が作ったものに対するろう者の集まり具合に改めて感嘆した。

この映画は,ダブルマイノリティー(ろう・LGBTQ)かつ地方というのが軸にありながら「家族に反対されても好きな人と一緒にいたい」という親離れ青春ものの側面が結構強い(親離れできたのかはよくわからない)。親に反対されるシーンは割と予告編そのままで一瞬で終わるんだけれど,それが主人公の華の「社会から受け入れられないんだ」という悩みとして可視化されたシーンだった。

物語の後半,この界隈では有名な玉田宙さんがゲイの役で同性の先輩を好きになってしまったという話をするシーンがあるが,どれかの予告編にあるように,聾学校の先生が家にやってきて,「いつか君にぴったりの女性が現れる」と無神経なことを言う。ろう社会にとって,聾学校の聴者の先生というのはこういう感じの扱いだ。つまり,親身になっているようで,本質がわかっていない,余計なお節介コメントをしてしまう人。

そして助けてくれるのは,NHKみんなの手話にも出ているMtFのれんさん演じるバーのママ。彼女は割と全知全能というか,セクシャルマイノリティのろう者にとっての救済として存在しているような感じ。これがろう者でないことはありえないし,セクマイじゃないということもありえない。

ろう者の社会の中でさらにマイノリティになってしまうLGBTQは,こうした存在を求めていると思う。

手の届くところに。探せばいないわけではないが,自分のことを気にかけてくれるのがこうした人でないと救われないわけだから,それはとても確率が低いような気もするし,みんなが彼女に出会えるなら,この映画はいらない。つまり,この映画は彼女のような役割を果たしたいという映画なのかなと理解することもできる。これを見ることで,あなたは一人じゃないという強いメッセージを発信しようというのは,そもそも映画を作るための資金集めの段階からあったことだ。

さて,私は,「しゃべりすぎる」人間なのだと自覚しているのだが,この物語の人々は「しゃべりすぎない」人たちである。華が好きになる歩はそういう人物なのだ。歩は「セクシャルマイノリティのイベントがあるから行かない?」って聞いて,華が「ろうの社会は狭いって知ってるでしょ」って言っても,それに反論もしないし,強引に「それでも行こう」とも言わない。ちょっと待つ。嘘を嘘と指摘せず合わせる。その場しのぎに見えるかもしれないけど,そうすることで「待つ」とか,焦らないこと,これってすごく大事なことだし,待てることは愛だなあと思う。

これは,歩は割と独立独歩,自分の世界がある人物だからできることなんだろうなと思う。華は両親に話して反対されて帰ってくるが,歩は(まだ)親にはそのことを話していない。多分,自分の恋愛対象が同性であることも話していない。そのことを相談する相手は母ではない,ような。あるいは別に,誰にも相談しなくても自分で解決できるような性格なのか。

対照的に,華は,ろう者の両親に大事にされてきて,近しい関係を築いてきたという人物。親ぐるみの地域社会にどっぷり浸かってることが示唆されている。そもそもその狭いろう社会で,地元のろう者がたくさんやってくる美容院に就職してたりするし。親は地元のろう社会の中心にどっぷり浸かっている人たちで,手話講習会の講習を担当していたり,手話サークルの話をしていたりする。そういうのにうんざりしていたら,華は地元で就職してないと思うし,そもそも親にすぐに自分たちの話をしてしまったりしないだろう。それは,デフファミリーならではというか,親が学校の先生よりも,誰よりも,なんでもわかってくれるのが当然という生活をしてきたことに由来しているようにも思う。一応,一人暮らしはしているものの。

この物語は,ちょっと青臭いというか,「この二人,いつか別れるんだろうな」とアラフォー既婚者の私は思う。なんというか,こんなにポエティックでちょっと悲劇的な関係は長続きしないし,宝箱から出して愛でているような,そんな気配が漂っている(と思ってしまう)。昔はこんなことあったけど,と劇中で他の人が自分の経験を語ってるのと同じように,いつか語られる話のような,そんな気がしてしまう。華にも歩にも越えなければいけない人生の壁がまだまだある。だから設定が20代前半なんだろうなあとも思う。まあ世界が狭いから,その辺りの事情は私が想像するのと違うのかもしれないけれど。私自身は,そういう甘くて苦い物語として楽しんで来ました。はい。

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終演後の舞台挨拶に,トランスジェンダーの有名人である杉山文野さんが登壇していて「自分は自分である以上に,性同一性障害の」とラベルづけされてしまうという問題を提起していた。それでこれを「普通の」恋愛映画くらいの感じで見ていたところについて感想を書こうと思ったのだけれど,なにぶん,ろう者コミュニティがどういうところなのか,みたいなところを気にして研究している立場なので,みょうに説明くさい感想文になってしまった。それもまた私が「手話研究者」というラベルのもとで仕事をしているからなのだろう。

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Rのポスドク手話/言語学研究者。3歳児の連れ。こちらには長めの文章を書いたものをとりあえず集めておきます。