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意思決定において集合知が機能する条件と現実解

「三人寄れば文殊の知恵」といいますが、多数の人が集まって議論する際、集合知を活用して効果的な意思決定を行うにはどのような条件が必要なのでしょうか?いくつかの書籍を参考にしながら考えていきたいと思います。

理論: 多数決は正しい(コンドルセの陪審定理)

そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。』によると、社会学においてはコンドルセの陪審定理に代表される「多数決の判断は優れいてる」ことを示す定理がいくつかあり、いずれにおいても次の2つの条件が重要だと言います。
・目的の共有 … 参加者全員の目的が一致している
・独立性 … 参加者が互いに忖度することなく決定を行う

この定理の応用として、複数の電気回路による多数決を行うことで、一つ一つの電気回路の性能はそのままに、システム全体としての性能向上(エラー発生率の抑制)を実現した例が示されています。確かに、電気回路であれば目的の共有と独立性を完全に満たすことができるでしょう。

しかし、ビジネスの現場で複数人が協力して意思決定を行うとき、そこには次のような相互作用が生まれます
根回し … 誰かが特定の結論になるよう操作する
情報格差 … その件について詳しい人・そうでない人
忖度 … 権力者の意見に従う
アンカリング … 最初の意見や提案者の意見に影響を受ける

これらを乗り越えて独立性を担保するためには、参加者全員が独立して情報を収集し、意思決定を行い、投票を行い、集計をする、という方法を取る必要がありますが、これは現実的ではないでしょう。つまり、コンドルセの陪審定理の条件は、実際のビジネスの現場ではまず満たされることはないと思います。

現実解①: 一定以上の能力を持つものだけで議論する

バカと無知』では、個人が独立して判断した結果を集計したときに判断の精度が高まる例を示しつつも、話し合いのように、能力が異なる者が互いに影響し合ったときでも「集合知」は実現できるのかについて述べています。

少し込み入った議論になっているため、ここでは過激な結論だけを取り上げると、集団での決定はバカに引きずられてしまい、それを避ける最も良い方法は一定以上の能力を持つものだけで議論することだと述べています。

さまざまな実験から、ひとは無意識のうちに集団のメンバーを平均化することがわかっている。この「平均効果」が生じるのは、愚か者が自分の能力を(大幅に)過大評価し、賢い者が自分の能力を過小評価するからで、その結果、集団での決定はバカに引きずられてしまう。この悲劇を避けるもっともよい方法は、一定以上の能力をもつ者だけで議論することだ。

橘玲.バカと無知―人間、この不都合な生きもの―(新潮新書)言ってはいけない(p.48).新潮社.KindleEdition.

冷血に見えますが、実際に多くの企業において、「経営会議」や「取締役会」という名のもとに、選ばれた人たちだけによる意思決定が行われています

現実解②: 一部のメンバで意思決定を行うが、他のメンバも反対意見を述べる余地を残す

とはいえ、一定以上の能力を持つものだけで議論するという方法も、完全に機能するわけではないと思います。なぜなら、その議題において能力を持っているメンバがだれかを事前に見極めることが難しかったり、疎外感を生んでしまうからです。

関係者の力関係があいまいな場合は限られたメンバのみによる意思決定は難しいと思います。このような場合に私が最近実践している方法を共有して終わりたいと思います。それは、一部のメンバで仮決定を行った後に、関係者が反対意見を述べる場を作るというやり方です。その件において優れた判断ができると思われる一部のメンバに相談して仮決定を行った後で、他のメンバにも「こう考えてこうなりました。気になるところはありますか?」と聞きます。この聞き方をすると、明らかな問題がない限りは基本的にそのままになり、大きな問題がある場合は指摘してもらえ、疎外感を抑制することができるため、バランスが良いかなと思っています。

以上です。

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