一生懸命に生きたい

 自分は今、生きているのだろうかと自分に問う。
 生きているとはなんだろう。「心臓が動いて入れば」「脳が動いていれば」――それは身体的な話だ。私は、命を蒸気機関のように燃やし、今、この一瞬を精一杯生き抜いている人間こそ、真に「生きている」ということだと思っている。
 今、自分は生きていないと思う。少なくとも、精一杯命を燃やしてはいない。ずっと燃料が足りないと思っていた。それを仕事を頑張り過ぎて体を壊したせいだと思っていた。何かが欠けている。そんな風に、心に穴がぽっかり空いたように、ただただ、何もやる気がなく、惰性で心臓を動かしているだけの日々。
 そんな折、太宰治と再び出会った。私はかねてから彼が気になってはいたが、実際に読んだことがあるものは「走れメロス」程度。あとは漫画やゲームで出会った、自殺願望のある、刹那的な人物。そんな印象だ。
 坂口安吾は太宰を「コメジアン」と言った。そして、「コメジアンになりきれなかった」とも言った。太宰治はコメジアンになり切れれば最高の作品を書くのに、「フツカヨイ」的な話はだめなんだと、坂口は言う。私は、太宰のことを何も知らない。坂口の「不良少年とキリスト」を読んでから、太宰の筑摩書房の文庫全集を買った。どうやら書いた年代順に収録されているらしい。箱に入ってやってきたその本を、太宰の生き様を感じながら読もうと思っている。
 太宰の短編はいくつか青空文庫で読んだ。何より胸を打ったのは、織田作之助が亡くなった時の手紙のような話だ。彼は、最後まで作家であり続けたたった二度しか会ったことのない織田にこう言った。「織田君、君はよくやった」と。
 話は変わるが、私の祖母が二年前に亡くなった。アルツハイマー型認知症を患って私のことなどわからなくなり、そうしてしばらく経ってからの老衰だったようだ。葬儀の時に知り合いの女性が私にこう言った。「おばあちゃん、一生懸命生きたねえ」と。私はその言葉が忘れられず、ただただ涙を流した。
 私は一生懸命生きていないと自分で感じている。なんとなく時間が過ぎ去っているだけ。それを果たして生きていると呼べるのか。
 私も死ぬ時に、誰かに「よくやった」「一生懸命生きたね」と言われたい。そう漠然と思っていたのが、最近火がついたように、そのような生き方を渇望するようになった。
 話を戻して、太宰治の孫が私と同い年であると見かけて、こんなにも歴史は地続きになっているのだと感じた。手の届かないところにいる文豪が、私の祖父と同じ時代を生きていたのかと思うと、自分にも何かできるのではないかという気がしてくる。
 私にできることはなにか。それは、この二十年ほど書き続けてきた文章に他ならないと感じた。趣味で書いているだけの文章力にどれだけの価値があるかはわからないが、文章を書く人間の末端にいる者として、たとえ手が届かなくとも、並べなくとも、憧れの人を追いかけることはできるのではないかと思った。憧れの芥川龍之介を追い求めた太宰治のように。
 私は今年三十六歳になる。太宰の享年を追い越すのももうすぐだ。頑張って生きたい。生き抜きたい。たとえどんな最後であろうとも、美しく死にたい。美しく死ぬというのは、一生懸命に生きるということだと私は思う。
 美しく生きよう。そう決意し、ここに残す。

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