古のドリーマーが言いたいこと

歴15年のとある夢女さんの記事を見かけて、「夢ってそんなものなんだっけ?」と思ったので、歴20年のドリーマーが書きました。

ドリーム小説は歴20年の私でさえ、別にインターネット上に出現した段階から見ているわけではありません。名前変換がJavascriptのダイアログだった時期、もっと昔は違ったかもしれません。
20年個人サイトを運営してきていますが、本当に夢小説を書く人も読む人も増え、多様化が進んできていると感じます。
私が認識しているだけで、「夢小説は自己投影できなければならない」「細かい設定など不要」などなど、~であるべき、といういろんなことを唱える人が多くいました。
夢小説界隈は20数年の間に多様化が進み、小説だけでなくイラスト、漫画など形態を広げるにとどまらず、webから更に本にしたりオンリーイベントがあったりと、発表の場も広がりました。
夢小説は、書く人それぞれの世界があり、読む人それぞれの世界があります。我々「古の」と自称する人間がすべきは、多様化を受け入れることではないでしょうか。
私は、書き手の好みを読み手がどうこう言えるものではないし、読み手の好みは書き手には依存しないと思っています。結局のところ全部「あなたの好み」で片付くのです。それを他者に押し付けることは夢小説界隈の縮小に繋がると思います。

正直なところ、「自己投影できなければならない」だとか「固定夢主はおかしい」などという意見は、古のドリーマーが持つ論ではないと思います。そんなものは十数年前の議論なんですよ。
私は夢小説に恋愛を持ち込んだことなど今も続いている2つめの個人サイト19年間で一度もないし、だからと言って恋愛がないと夢小説ではないだなんて言われたことは一度だってありません。固定夢主で設定過多であることについても何も言われたことはありません。読んでくれる人は設定だらけの友人や仲間である夢主のいる小説を読んでくれますし、まあ合わなかった人は何も言わずに立ち去っているのでしょう。それでいいんです。合わなかったら去る。これが夢小説界隈でのあるべき姿ではないでしょうか。
名前変換すべき論もわかります。でも、pixivに200話ほど変換しない夢小説をあげていますが、文句を言われたことはありません。これも、合わなかった人は立ち去っているからでしょう。というか、割と最近「夢小説に名前変換機能!?懐かしいですね!」と言われて、既にそういう認識の層もいるのだと認識をアップデートしたところです。

私には私の夢主と夢小説があります。あなたにもあなたの夢主と夢小説があります。それだけの話ではないですか?
「こういうものは夢小説ではない」だとか、そういう論は多様化の進んだ夢界隈にはいらないんです。今後、もっと他にも小説やイラスト、漫画にとどまらない形態や他の発表の場も現れるかもしれません。それを受け入れられないのなら触れない。それで良いと思います。

夢小説は昔と比べたら随分認知度も上がり、書き手も読み手もたくさん増え、オタクであれば知っている人も多いという存在になりました。良いことじゃあないですか。
夢小説が嫌いな人がいることも知っていますが、その方たちもただの一つの表現形態として認めてくれれば良いなと願うばかりです。

最後に、夢小説愛好家は夢女とはまた意味合いが違うんじゃないかなと、古のドリーマーは思っています。夢女は最近の単語なので、まだ議論の余地はあるのかなとは思いますが、私は自分を夢女ではないと思っています。夢小説愛好家でドリーマーです。

年数マウント取りたいわけじゃなく、ただただ同じくらいの歴なのに十数年前に流行った意見だなあと思っただけの記事でした。

以上。

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